鈴木 信太郎(読み)スズキ シンタロウ

20世紀日本人名事典 「鈴木 信太郎」の解説

鈴木 信太郎
スズキ シンタロウ

大正・昭和期のフランス文学者 東京大学名誉教授。



生年
明治28(1895)年6月3日

没年
昭和45(1970)年3月4日

出生地
東京・神田

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部仏文科〔大正8年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和20年〕

主な受賞名〔年〕
読売文学賞(第3回・文学研究賞)〔昭和27年〕「ステファヌ・マラルメ詩集考」,日本芸術院賞(第11回)〔昭和29年〕「フランス詩法」,レジオン・ド・ヌール勲章〔昭和35年〕

経歴
在学中からフランス詩などを翻訳し、大正10年東京帝国大学講師となる。13年「近代仏蘭西象徴詩抄」を刊行し、14年から15年にかけて渡仏。昭和6年東京帝国大学助教授となり、22年教授、28年文学部長となって、31年定年退官。その後中央大学教授、東洋大学教授を務めた。その間、27年「ステファヌ・マラルメ詩集考」で読売文学賞を、29年「フランス詩法」で日本芸術院賞を受賞。37年日本フランス語フランス文学会の初代会長に就任し、38年日本芸術院会員となる。ヴィヨン、ボードレーヌ、ヴァレリーなど多くの訳詩集、「ヴィヨン雑考」などの研究書、「文学附近」などの随筆集と、著書は多くある。「鈴木信太郎全集」(全5巻補巻1 大修館)が刊行されている。

鈴木 信太郎
スズキ シンタロウ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治28(1895)年8月16日

没年
平成1(1989)年5月13日

出生地
東京都八王子市

学歴〔年〕
白馬会洋画研究所修了

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和35年〕,勲三等瑞宝章〔昭和44年〕,文化功労者〔昭和63年〕

経歴
15歳で上京し、黒田清輝師事。絵では生活できず帰郷し、織物図案に手を染める。再び上京し、大正5年文展、11年二科展に入選石井柏亭に師事する。以後、稀有な色彩画家(コロリスト)と評されるようになる。昭和11年二科会会員、30年退会。一陽会結成に参加。44年芸術院会員。風光・花・人形・本の装丁・さし絵を描いてきた。著書に「美術足音 今は昔」「お祭りの太鼓」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「鈴木 信太郎」の解説

鈴木 信太郎 (すずき しんたろう)

生年月日:1895年6月3日
大正時代;昭和時代のフランス文学者。東京大学教授
1970年没

鈴木 信太郎 (すずき しんたろう)

生年月日:1895年8月16日
大正時代;昭和時代の洋画家
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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