鈴鹿連胤 すずか-つらたね
1795-1871* 江戸後期-明治時代の国学者。
寛政7年10月29日生まれ。代々京都吉田神社の神職。国学を山田以文(もちふみ),和歌を香川景樹(かげき)にまなぶ。吉田神社社殿の再建,皇陵の調査にあたり,のち著述に専念。明治3年11月20日死去。76歳。号は誠斎,尚褧舎。編著に「神社覈録(かくろく)」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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鈴鹿連胤 (すずかつらたね)
生年月日:1795年10月29日
江戸時代後期の国学者
1870年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の鈴鹿連胤の言及
【神社覈録】より
…江戸末期より明治初年に活躍した神道学者鈴鹿連胤(すずかつらたね)の著。75巻。…
※「鈴鹿連胤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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