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香川景樹 かがわ かげき

美術人名辞典の解説

香川景樹

江戸後期の歌人。桂園派の祖。鳥取生。名は純徳、のち景樹、通称を銀之助・貞十郎、号は桂園・東樢亭。伊藤仁斎門下。鷹司家・西洞院家に仕える。香川黄中の養子となり京都歌壇を風靡した。のち江戸・伊勢・尾張を廻り、門人は千余人を数え、永く明治・大正の世にまで門流を引いた。天保14年(1843)歿、76才。

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デジタル大辞泉の解説

かがわ‐かげき〔かがは‐〕【香川景樹】

[1768~1843]江戸後期の歌人。鳥取の人。号、桂園。香川景柄(かげもと)、小沢蘆庵に師事。賀茂真淵(かものまぶち)らの古代尊重主義に反対、純粋感情を重んじる桂園派を打ち立てた。著に歌集「桂園一枝」、歌論新学異見(にいまなびいけん)」「古今和歌集正義」など。

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百科事典マイペディアの解説

香川景樹【かがわかげき】

江戸後期の歌人。通称銀之助。号は桂園,梅月堂など。鳥取藩士荒井氏の子。上洛後,堂上歌人香川景柄(かげとも)の養子となる。小沢蘆庵と親交をむすぶ。《古今和歌集》を支持し,とくにその〈しらべ〉を重んじて,賀茂真淵万葉調を排撃した。
→関連項目井上通泰木下幸文熊谷直好

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

香川景樹 かがわ-かげき

1768-1843 江戸時代後期の歌人。
明和5年4月10日生まれ。二条派の香川景柄(かげもと)の養子。小沢蘆庵(ろあん)の影響をつよくうけ,のち養家をさり桂園派をおこす。「調べの説」をとなえ,賀茂真淵らの復古主義歌学を否定した。天保(てんぽう)14年3月27日死去。76歳。因幡(いなば)(鳥取県)出身。本姓は荒井。初名は純徳。通称は銀之助。号は桂園。歌集に「桂園一枝」,著作に「古今和歌集正義」など。
【格言など】歌はことわるものにあらず,調ぶるものなり(「随所師説」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

香川景樹

没年:天保14.3.27(1843.4.26)
生年:明和5.4.10(1768.5.25)
江戸後期の歌人。因幡国鳥取藩士荒井小三次の次男。幼名銀之助。7歳のとき,父を亡くし一家離散,母の姉の夫奥村新右衛門定賢にあずけられ,名を純徳,通称を真十郎と改めた。幼くして和歌を清水貞固に学ぶ一方,儒学に志があった。寛政5(1793)年,出奔して京都に出る。このとき滝川某の娘包子を伴っており,出奔にはその恋愛が絡んでいるともいわれる。苦学を続けるうちに,寛政8年,二条派地下歌人で徳大寺家出仕の梅月堂香川景柄に夫婦養子入りをした。このとき,名を景徳さらに景樹と改め,通称を式部と称して徳大寺家の家士となり,堂上の歌会に出席するようになった。やがて「調べ」を重んじて堂上派と相容れない新しい歌風を主張しはじめる。景樹は「大天狗」とも称されるほど自信満々の態度であったが,京都の旧派や江戸歌壇は一斉に反発,江戸の加藤千蔭,村田春海は『筆のさが』を著して景樹の歌を激しく非難した。 文化1(1804)年,梅月堂と離縁,ただし香川姓は名乗り続ける円満な独立であった。景樹のもとには門人が次第に集まり,新しい勢力(桂園派)を形成した。本宅を東塢亭,桂園と称し,別宅を臨淵社,観鶩亭,一月楼,万水楼といったが,これらは景樹の号でもある。主な門人に熊谷直好,木下幸文,亜元,高橋正澄がいる。文化8年には賀茂真淵の『新学』を論駁する『新学異見』を脱稿,復古主義派を攻撃,さらに,文政1(1818)年には,江戸進出を企てたが,これは失敗に終わった。家集に『桂園一枝』(1830),『桂園一枝拾遺』(1850)がある。画期的といわれる歌論は小沢蘆庵の「ただこと歌」の影響を受けたもので,天地自然に根ざした本来的な誠,真情を素直に表出したとき,歌はおのずから「しらべ」を持つというものであり,実作もまた清新である。<参考文献>兼清正徳『香川景樹』

(飯倉洋一)

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世界大百科事典 第2版の解説

かがわかげき【香川景樹】

1768‐1843(明和5‐天保14)
江戸後期に活躍した歌人。通称銀之助。号は桂園,東塢(とうう)亭など。桂園派の祖。因幡国鳥取藩の藩士荒井家に生まれる。26歳の年に京都に出,やがて歌才を認められて二条派の歌人香川景柄(かげとも)の養子となり,中央歌壇で活躍する地盤を得た。その後,香川家と離絶するが,以後も香川姓を名のった。その一門桂園派は,先行の賀茂真淵の門流県門(けんもん)と鋭く対立。県門の大御所,村田春海,加藤(橘)千蔭によって,激しい批判があびせられた。

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大辞林 第三版の解説

かがわかげき【香川景樹】

1768~1843) 江戸後期の歌人。号、桂園など。鳥取の人。小沢蘆庵ろあん・香川景柄かげともに学ぶ。「調しらべ」の論を唱え、古今和歌集を範として、賀茂真淵らの復古主義万葉調と対立。著「桂園一枝」「古今和歌集正義」「新学異見」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

香川景樹
かがわかげき

[生]明和5(1768).4.10.
[没]天保14(1843).3.27.
江戸時代後期の歌人,国学者。鳥取藩士荒井小三次の次男。銀之助,純徳ともいい,号は東塢 (とうう) 亭,梅月堂,桂園。香川景柄 (かげもと) の養子となり,のち離縁したが,やはり香川姓を名のった。和歌,学問とも,賀茂真淵の立場に反対し,村田春海,加藤千蔭ら江戸派と論戦した。歌論では古今風を尊重し,また俗語を歌に詠むべきであると説き,万葉風を鼓吹した真淵の『爾比末奈比』の論難書として『新学異見』 (1811) を著わした。自撰の歌集に『桂園一枝』 (30) がある。『桂園一枝拾遺』 (50) は門人の編。ほかに歌論としては『歌学提要』 (43) ,『桂園遺文』 (59) ,国学関係の著作としては『百首異見』 (23) ,『古今和歌集正義』 (35) など。門弟が多く,桂園派として近世歌壇の中心を占めて,明治初期まで有力だった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

香川景樹
かがわかげき
(1768―1843)

江戸後期の歌人。号桂園(けいえん)。鳥取藩軽輩荒井小三次の次男に生まれ、銀之助といったが、7歳で父に死別し、伯父奥村定賢の養子となって奥村純徳と改めた。年少のころから学問を好み、清水貞固(さだかた)に和歌を学んだ。26歳で和歌修業のため京都に上り、荒井玄蔵の変名で按摩(あんま)をしながら刻苦勉励し、29歳で二条派地下(じげ)の宗匠香川梅月堂景柄(かげもと)の養子となり、香川式部景樹といった。このころ小沢蘆庵(ろあん)の「ただこと歌」に啓発されて、古今伝授を伝統的権威とする二条派和歌に反発し、37歳で梅月堂を離縁となり、独立して桂園派の一派をたてた。景樹の主張の一つは中世的伝統歌学の否定であり、他の一つは復古主義歌学の否定である。賀茂真淵(かもまぶち)の『新学(にいまなび)』に対して『新学考』(1815年に『新学異見』として出版)を書いて、真淵の『万葉集』尊重と古代精神復活の主張を批判し、『古今集』を尊重しながらも「今の世の歌は今の世の詞(ことば)にして今の世の調(しらべ)にあるべし」と「調の説」をたてて和歌の現代性を強調し、近世歌論に新しい展開を示し、熊谷直好(くまがいなおよし)、木下幸文(たかふみ)をはじめとして概数1000人の門人たちは全国に桂園派の新歌風を拡大した。
 景樹は1803年(享和3)に従(じゅ)六位下長門介(ながとのすけ)に、41年(天保12)に従五位下肥後守(ひごのかみ)に叙任。天保(てんぽう)14年3月27日に76歳で没した。法名は実参院悟阿在焉居士(ごあざいえんこじ)。在焉は誠拙禅師に参禅して得た法号である。墓は京都市左京区東山通仁王門の聞名寺(もんみょうじ)境内の香川家墓地にある。著書に『百首異見』『土佐日記創見』『古今和歌集正義』など、家集に『桂園一枝(いっし)』『桂園一枝拾遺』、門人の編著に『桂園遺稿』『歌学提要』『随所師説』などがあり、そのほかに『桂園祕稿』『桂園遺芳』『桂園叢書(そうしょ)』なども編纂(へんさん)されている。[兼清正徳]
 大井川かへらぬ水にかげ見えて今年もさける山ざくらかな
『山本嘉将著『香川景樹論』(1942・育英書院) ▽黒岩一郎著『香川景樹の研究』(1957・文教書院) ▽兼清正徳著『香川景樹』(1973・吉川弘文館)』

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367日誕生日大事典の解説

香川景樹 (かがわかげき)

生年月日:1768年4月10日
江戸時代後期の歌人
1843年没

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世界大百科事典内の香川景樹の言及

【歌論】より

…古典観の相違は当然のことながら,歌の本質論の差異に基づいていた。さらには,《古今和歌集》を重んじた小沢蘆庵,香川景樹らがいた。景樹の歌論《新学異見(にいまなびいけん)》は真淵の《にひまなび》に異をとなえた〈歌論〉であって,〈歌は調ぶるものなり〉とあるように〈しらべ〉を重視し,〈理(ことわ)るものにあらず〉として理を排し,感情の解放を主張して,新風を開いたのだった。…

【桂園一枝】より

香川景樹の自撰歌集で,1828年(文政11)成立,30年刊。四季・事につき時にふれたる・恋・雑・雑体(長歌,旋頭歌,俳諧歌)の部立がなされ,983首を収める。…

【古今和歌集】より

…契沖の《古今余材抄》(1692成立)は近世的な科学的研究を開始した重要な研究であり,本居宣長《古今和歌集遠鏡(とおかがみ)》(1794成立)は最初の口語訳である。香川景樹《古今和歌集正義》(1835刊)は近世の最もすぐれた《古今集》研究である。明治以後の業績は古写資料の公刊と整理が大きい。…

【短歌】より

…真淵の門流は県居(あがたい)派と呼ばれたが,やがて分派し,〈江戸派〉(加藤千蔭,村田春海ら),〈鈴屋(すずのや)派〉(本居宣長,加納諸平ら)としてともに競い合った。さらに〈ただごと歌〉を主張した小沢蘆庵,〈調べの論〉を提唱した香川景樹の2人は,反真淵の立場を前面に出すことで,自身の作風を鮮明にした。とくに,古今風を標榜(ひようぼう)した景樹の門流は隆盛をきわめ,江戸時代最大の流派〈桂園派〉を形成した。…

※「香川景樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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