江戸後期の歌人。号桂園(けいえん)。鳥取藩軽輩荒井小三次の次男に生まれ、銀之助といったが、7歳で父に死別し、伯父奥村定賢の養子となって奥村純徳と改めた。年少のころから学問を好み、清水貞固(さだかた)に和歌を学んだ。26歳で和歌修業のため京都に上り、荒井玄蔵の変名で按摩(あんま)をしながら刻苦勉励し、29歳で二条派地下(じげ)の宗匠香川梅月堂景柄(かげもと)の養子となり、香川式部景樹といった。このころ小沢蘆庵(ろあん)の「ただこと歌」に啓発されて、古今伝授を伝統的権威とする二条派和歌に反発し、37歳で梅月堂を離縁となり、独立して桂園派の一派をたてた。景樹の主張の一つは中世的伝統歌学の否定であり、他の一つは復古主義歌学の否定である。賀茂真淵(かもまぶち)の『新学(にいまなび)』に対して『新学考』(1815年に『新学異見』として出版)を書いて、真淵の『万葉集』尊重と古代精神復活の主張を批判し、『古今集』を尊重しながらも「今の世の歌は今の世の詞(ことば)にして今の世の調(しらべ)にあるべし」と「調の説」をたてて和歌の現代性を強調し、近世歌論に新しい展開を示し、熊谷直好(くまがいなおよし)、木下幸文(たかふみ)をはじめとして概数1000人の門人たちは全国に桂園派の新歌風を拡大した。
景樹は1803年(享和3)に従(じゅ)六位下長門介(ながとのすけ)に、41年(天保12)に従五位下肥後守(ひごのかみ)に叙任。天保(てんぽう)14年3月27日に76歳で没した。法名は実参院悟阿在焉居士(ごあざいえんこじ)。在焉は誠拙禅師に参禅して得た法号である。墓は京都市左京区東山通仁王門の聞名寺(もんみょうじ)境内の香川家墓地にある。著書に『百首異見』『土佐日記創見』『古今和歌集正義』など、家集に『桂園一枝(いっし)』『桂園一枝拾遺』、門人の編著に『桂園遺稿』『歌学提要』『随所師説』などがあり、そのほかに『桂園祕稿』『桂園遺芳』『桂園叢書(そうしょ)』なども編纂(へんさん)されている。
[兼清正徳]
大井川かへらぬ水にかげ見えて今年もさける山ざくらかな
『山本嘉将著『香川景樹論』(1942・育英書院)』▽『黒岩一郎著『香川景樹の研究』(1957・文教書院)』▽『兼清正徳著『香川景樹』(1973・吉川弘文館)』
(飯倉洋一)
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江戸後期に活躍した歌人。通称銀之助。号は桂園,東塢(とうう)亭など。桂園派の祖。因幡国鳥取藩の藩士荒井家に生まれる。26歳の年に京都に出,やがて歌才を認められて二条派の歌人香川景柄(かげとも)の養子となり,中央歌壇で活躍する地盤を得た。その後,香川家と離絶するが,以後も香川姓を名のった。その一門桂園派は,先行の賀茂真淵の門流県門(けんもん)と鋭く対立。県門の大御所,村田春海,加藤(橘)千蔭によって,激しい批判があびせられた。一方,景樹は《新学異見》を書いて真淵の《にひまなび》に異説をとなえた。真淵の万葉尊重に対して《古今集》,なかんずくその〈しらべ〉を重んじた。〈歌は調(しら)ぶるものなり,理(ことわ)るものにあらず〉との主張,および小沢蘆庵の〈ただごと歌〉の流れをくむ,あるがままの純粋感情を重んじる立場は,幕末から明治初頭の歌壇に大きな影響力を持ち,主流を形成した。家集に《桂園一枝》,歌論書に《桂園遺文》ほか多数ある。
執筆者:佐佐木 幸綱
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1768.4.10~1843.3.27
江戸後期の歌人。鳥取藩士荒井小三次の次男。初名純徳・景徳。通称銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園・東塢亭(とううてい)・梅月堂・観鶩(かんぼく)亭・臨淵社・万水楼・一月楼。親類の奥村定賢に養育され,京都で梅月堂香川景柄(かげもと)の養子となるが,1804年(文化元)離縁。従五位下肥後守。清水貞固に和歌を学び,上京して徳大寺家に出仕。養父景柄を通じて小沢蘆庵(ろあん)に私淑,のち「しらべの説」を提唱して独自の桂園歌風を創始する。熊谷直好・木下幸文(たかふみ)・菅沼斐雄(あやお)・高橋残夢など門人は非常に多い。法号実参院悟阿在焉居士。家集「桂園一枝」「桂園一枝拾遺」のほか,「新学(にいまなび)異見」「百首異見」「古今和歌集正義」など著作多数。
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…古典観の相違は当然のことながら,歌の本質論の差異に基づいていた。さらには,《古今和歌集》を重んじた小沢蘆庵,香川景樹らがいた。景樹の歌論《新学異見(にいまなびいけん)》は真淵の《にひまなび》に異をとなえた〈歌論〉であって,〈歌は調ぶるものなり〉とあるように〈しらべ〉を重視し,〈理(ことわ)るものにあらず〉として理を排し,感情の解放を主張して,新風を開いたのだった。…
…香川景樹の自撰歌集で,1828年(文政11)成立,30年刊。四季・事につき時にふれたる・恋・雑・雑体(長歌,旋頭歌,俳諧歌)の部立がなされ,983首を収める。…
…契沖の《古今余材抄》(1692成立)は近世的な科学的研究を開始した重要な研究であり,本居宣長《古今和歌集遠鏡(とおかがみ)》(1794成立)は最初の口語訳である。香川景樹《古今和歌集正義》(1835刊)は近世の最もすぐれた《古今集》研究である。明治以後の業績は古写資料の公刊と整理が大きい。…
…真淵の門流は県居(あがたい)派と呼ばれたが,やがて分派し,〈江戸派〉(加藤千蔭,村田春海ら),〈鈴屋(すずのや)派〉(本居宣長,加納諸平ら)としてともに競い合った。さらに〈ただごと歌〉を主張した小沢蘆庵,〈調べの論〉を提唱した香川景樹の2人は,反真淵の立場を前面に出すことで,自身の作風を鮮明にした。とくに,古今風を標榜(ひようぼう)した景樹の門流は隆盛をきわめ,江戸時代最大の流派〈桂園派〉を形成した。…
※「香川景樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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