…しかし,1600年(慶長5)の関ヶ原の戦で家康の部将鳥居元忠指揮下にあって伏見城を死守したものの子孫は,与力(10騎),同心(100人)として召し出されて山岡備前守景友(道阿弥)に配属され,景友の知行9000石のうち4000石がその給分にあてられた。これはのちに百人組(鉄砲百人組)4組のうちの甲賀組となった。ちなみに,甲賀組は頭1人(役高3000石,布衣,菊之間縁頰詰,若年寄支配)のもとに与力20騎(役高現米80石,御目見以下,役上下,譜代席),同心100人(役高30俵二人扶持,御目見以下,譜代席)があり,平素は他の3組(根来組,伊賀組,二十五騎組)と交替で江戸城大手三の門を警衛した。…
※「鉄砲百人組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...