銘苅家住宅(読み)めかるけじゆうたく

日本歴史地名大系 「銘苅家住宅」の解説

銘苅家住宅
めかるけじゆうたく

[現在地名]伊是名村伊是名

第二尚氏の始祖である尚円(金丸)の叔父真三良を初代とする銘苅家本家の住宅。国指定重要文化財。母屋とアサギとよばれる二棟の木造本瓦葺の建物が主体であり、琉球上級民家建築を代表するもの。島では銘苅殿内と称する。向姓系図家譜(銘苅家)によると、真三良は尚円の配慮で首里近郊の真和志まーじ間切銘苅みかる(現那覇市)地頭となったが、目を患い、島に帰った。銘苅の姓はそれに由来するという。銘苅家当主の肩書は銘苅大屋子(銘苅親雲上)で、夫地頭職の一つであり、伊平屋島玉御殿たまうどうん清明祭などをつかさどる主体であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「銘苅家住宅」の解説

銘苅家住宅

沖縄県島尻郡伊是名村にある住宅。銘苅(めかる)家は伊是名島の総地頭職を務めた家。国指定重要文化財。

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