日本歴史地名大系 「銭司村」の解説
銭司村
でずむら
わが国最初の貨幣である和同開珎を鋳造した鋳銭場のあった所とされ、その遺跡がある。「日本書紀」によれば、持統天皇八年三月、直広肆大宅朝臣麻呂ら三人を「鋳銭司に
しかし、天長四年(八二七)七月三日付太政官符(類聚三代格)に「右得鋳銭司解称、案内、此司在岡田之日、典薬医師一人別置司家、今医師停置療治無方、望請、省史生置医師」とあり、天長の頃はすでに廃されていたが、それ以前にはこの地に鋳銭司が置かれ、司家には専属の医師がいたことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報