朝日日本歴史人物事典 「銭屋金埒」の解説
銭屋金埒
生年:宝暦1(1751)
江戸時代の狂歌作者。本姓は馬場氏,通称は大坂屋甚兵衛,号は滄洲楼,日頭庵。初め,狂名を物事明輔といい,また馬場金埒の狂名でも知られている。江戸数寄屋橋外で両替商を営み,狂名は家業にちなんだもの。早くから江戸狂歌に参加し,天明2(1782)年4月,三囲稲荷の団扇会の折には,すでに天明狂歌壇の重鎮格として名を連ねている。『狂歌若葉集』(1783)に20首,『徳和歌後万載集』(1785)に4首入集しているのをはじめ,天明期の代表的な狂歌集に名がみえ,宿屋飯盛(石川雅望),鹿都部真顔,頭光らと共に狂歌四天王と称された。歌風は「古寺屁」と題する「屁をひれば音も高野の山彦に仏法僧とひびく古寺」の歌のように古歌の詞を用いて俗情を詠むのを得意とした。
(園田豊)
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