錦小路(読み)にしきこうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「錦小路」の意味・わかりやすい解説

錦小路
にしきこうじ

京都市中京(なかぎょう)区にある小街路。四条通の1筋北にあり、東は新京極(しんきょうごく)通から西は壬生(みぶ)通までの東西の通りで、とくに寺町(てらまち)通から高倉(たかくら)通までの間は「錦」とよばれ、地下水が豊富に湧出(ゆうしゅつ)するのを利用して、地下に石室を設け、江戸時代から魚市場が発達した。今日でも市内の中心部に位置し、狭い敷石路を挟んで魚屋八百屋(やおや)、乾物屋などの食料品店が軒を連ねる市場町である。

織田武雄

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百科事典マイペディア 「錦小路」の意味・わかりやすい解説

錦小路【にしきこうじ】

錦市場

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世界大百科事典(旧版)内の錦小路の言及

【魚市】より

…伏見には築城のころ魚屋町(伏見区),京都には1637年(寛永14)ころ魚棚町(下京区下魚棚通油小路西入)があり,都市の町名に肴町あるいは魚町,魚屋町などと称されるのは,ほとんど魚市場のあったところである。このほか錦小路魚市場は,近世以降現代でも有名であるが創立年代は不詳である。ただ応長1年(1311)付の淀魚市次郎兵衛尉宛為替状(厳島神社反古裏紙背文書)に,淀魚市の商人が洛中錦小路で替銭をするよう依頼されていることからみて,その成立は鎌倉時代にまでさかのぼるものかもしれない。…

【錦小路通】より

…その間,新京極通から高倉通に至る約400mにわたって錦市場があり,東への行当り新京極通東側に錦天満宮がある。錦小路通は平安京の錦小路にほぼ該当し,当初は具足(ぐそく)小路の名でよばれていたが,1054年(天喜2)改称した(《掌中歴》)。なお具足小路のなまりとみられる屎(くそ)小路の称もあったようで,《宇治拾遺物語》には村上天皇の時代に屎小路から錦小路に改称したという説話を載せている。…

※「錦小路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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