錦山城跡(読み)にしきやまじようあと

日本歴史地名大系 「錦山城跡」の解説

錦山城跡
にしきやまじようあと

[現在地名]比和町森脇

比和川と久泉原くせんばら川の合流点東にある錦山(八二二メートル)に構えられた中世の山城跡で、森脇元定・三十郎・市正三代の居城と伝える。森脇氏の系譜などは明らかでないが、森脇をはじめ越原谷おつぱらだに、さらに北方高野山たかのやま組一一ヵ村(現高野町)勢力を有していたといわれる。これらの地域はじび庄北部にあたるが、山内首藤氏地頭に補任されると、荘内各地に庶子を送り込んで勢力を扶植し、古くからこの地方に勢力をもっていた森脇氏も、山内氏の進出によって滅んだと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 高野山 タカ

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む