鍋島茂義(読み)なべしま・しげよし

朝日日本歴史人物事典 「鍋島茂義」の解説

鍋島茂義

没年:文久2.11.27(1863.1.16)
生年:寛政12.10.25(1800.12.11)
幕末の洋式兵学者。肥前武雄藩(武雄市)藩主。幼名は孟太郎,富八郎。通称を十左衛門。諱を茂義,紀義といった。文政5(1822)年23歳の部屋住にして佐賀本藩の執政に任じられたが,不羈豪胆にしてその行動が過激のため意見がいれられず,天保3(1832)年退き,武雄藩主となる。以後洋式兵学の研究に専念,同年には家臣平山醇左衛門を高島秋帆 に入門させ,また自らも秋帆に就いて洋式砲術を学び,天保6年には秋帆を武雄に招いてわが国最初の洋式砲を鋳造している。佐賀藩が維新の戦闘において卓越した装備を誇れたのも,茂義先鞭の功に帰せられよう。

(所荘吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鍋島茂義」の解説

鍋島茂義 なべしま-しげよし

1800-1863* 江戸時代後期の武士
寛政12年10月25日生まれ。肥前佐賀藩家老。天和(てんな)3年同藩武雄領主となる。高島秋帆(しゅうはん)に洋式砲術をまなび,領内モルテール(臼砲)を鋳造。のち藩砲術師範となり,軍備近代化につくした。文久2年11月27日死去。63歳。別名は紀義。通称は十左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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