朝日日本歴史人物事典 「鍋島茂義」の解説
鍋島茂義
生年:寛政12.10.25(1800.12.11)
幕末の洋式兵学者。肥前武雄藩(武雄市)藩主。幼名は孟太郎,富八郎。通称を十左衛門。諱を茂義,紀義といった。文政5(1822)年23歳の部屋住にして佐賀本藩の執政に任じられたが,不羈豪胆にしてその行動が過激のため意見がいれられず,天保3(1832)年退き,武雄藩主となる。以後洋式兵学の研究に専念,同年には家臣平山醇左衛門を高島秋帆 に入門させ,また自らも秋帆に就いて洋式砲術を学び,天保6年には秋帆を武雄に招いてわが国最初の洋式砲を鋳造している。佐賀藩が維新の戦闘において卓越した装備を誇れたのも,茂義先鞭の功に帰せられよう。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報