鎌庭村(読み)かまにわむら

日本歴史地名大系 「鎌庭村」の解説

鎌庭村
かまにわむら

[現在地名]千代川村鎌庭

鬼怒きぬ川の蛇行によって生じた干潟に立地。鬼怒川は昭和初年の改修で鎌庭の西方を南南東に直進するようになったが、それ以前は鎌庭の北・東・南の三方を囲繞していた。

「将門記」によれば天慶二年(九三九)一一月に常陸国府(現石岡市)を襲った平将門は「廿九日ヲ以テ、豊田ノ郡鎌輪かまわノ宿ニ還」っているが、この「鎌輪」は鎌庭であり、字舘野たでのが将門の居館跡と伝えられる。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「かまにはのむら 四十貫文 御年貢銭 斗物 八拾俵」とあり、人見家文書には「嘉吉元年四月十六日 結城落城、一家中トモ不残討死、子右京ハ多賀谷彦四郎氏家下妻エ初メテ移リ給フ時奉公、鎌庭ノ内粟野村ノ内ヲ領シ、鎌庭村ニ住ス」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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