日本歴史地名大系 「鏡中条村」の解説
鏡中条村
かがみなかじようむら
天正一〇年(一五八二)一一月六日の徳川家印判状写(記録御用所本古文書)に「賀々美中条」とみえ、中沢主税祐は徳川氏から本給得替および重恩として当地の三〇貫文の地ほかを与えられている。翌一一年四月一九日、徳川家康は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天正一〇年(一五八二)一一月六日の徳川家印判状写(記録御用所本古文書)に「賀々美中条」とみえ、中沢主税祐は徳川氏から本給得替および重恩として当地の三〇貫文の地ほかを与えられている。翌一一年四月一九日、徳川家康は
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