デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鏡久綱」の解説 鏡久綱 かがみ-ひさつな ?-1221 鎌倉時代の武将。佐々木定重の子。承久(じょうきゅう)の乱では後鳥羽(ごとば)上皇方の藤原秀康の軍に属し,美濃(みの)(岐阜県)摩免戸(まめど)で北条泰時のひきいる幕府の大軍に対抗。秀康軍がたたかわずして敗走するなか,幕府方の大江佐房(すけふさ)とたたかって敗れ,承久3年6月6日自刃(じじん)した。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「鏡久綱」の解説 鏡久綱 没年:承久3(1221) 生年:生年不詳 鎌倉初期の武将。佐々木定綱の孫。建久2(1191)年に比叡山と争いを起こして斬首された定重の子。右衛門尉に任官した。承久の乱(1221)では京方となり,激戦となった美濃国摩免戸(各務原市)を守った。主将藤原秀康らが敗走するなかでひとり奮戦したすえ自刃した。 (本郷和人) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報