鐘楼堂(読み)しようろうどう

日本歴史地名大系 「鐘楼堂」の解説

鐘楼堂
しようろうどう

[現在地名]高野町高野山

金堂の東、大塔正面にあり、三間四方、銅板葺。空海は伽藍を開くにあたって「紀伊国伊都郡高野寺の鐘の知識の文」(性霊集)を著し、有縁の道俗に勧進してその助成によって銅鐘を鋳造しようとしたが、完成は真然の時代であった(金剛峯寺建立修行縁起)。仁平三年(一一五三)・建久七年(一一九六)と改鋳され、永正一八年(一五二一)の大火後、天文一六年(一五四七)八月に鋳造された(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報