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真然 しんねん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

真然 しんねん

しんぜん

真然 しんぜん

804/812-891 平安時代前期の僧。
延暦(えんりゃく)23/弘仁(こうにん)3年生まれ。真言宗。空海の甥(おい)という。空海にまなび,真雅より灌頂(かんじょう)をうける。空海の遺命により高野山金剛峰寺の経営にあたる。真済(しんぜい)とともに唐(とう)(中国)にわたろうとしたが,台風のため断念。のち権少僧都(ごんのしょうそうず),東寺長者となる。寛平(かんぴょう)3年9月11日死去。80/88歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。俗姓は佐伯。通称は中院僧正,後(のちの)僧正。

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朝日日本歴史人物事典の解説

真然

没年:寛平3.9.11(891.10.17)
生年:延暦23(804)
平安前期の真言宗の僧。「しんぜん」とも。讃岐国多度郡(香川県)の人,姓は佐伯氏,空海の甥に当たる。9歳で出家,空海に随身し,さらに真雅にも師事,天長8(831)年真雅より両部灌頂を受ける。承和1(834)年空海より高野山を付嘱され,空海入滅時にはその葬儀を指揮し,以後中院に住して高野山の経営に勤めた。同3年真済と共に入唐しようとして果たさず,同5年入唐の円行に託して空海の遺品をその師恵果の墓に供える。貞観18(876)年東寺長者真雅より『三十帖冊子』(空海が密教の典籍を書写した冊子)を借覧し,高野に持ち帰ったのでのちに東寺との間に紛争が生じた。元慶8(884)年宗叡 に代わって東寺一長者となる。<参考文献>卍元師蛮『本朝高僧伝』,杲宝『東宝記』,『弘法大師弟子譜』

(津田眞一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の真然の言及

【高野山】より

…空海の伽藍建設は講堂(金堂),中門を南北中心線上に,後方東西に大塔・西塔を胎蔵・金剛両界に比して配するという,高野山の立地条件をふまえた独自の構想によったが,その在世中には完成を見なかった。伽藍の完成は弟子真然(しんぜん)の時代で,真然は大塔,西塔を完成し,教学の興隆をはかり,寺領を確立するとともに高野山に座主職を置いた。この結果,真言教団の体制は整ったが,その極端な排他的高野山中心主義は,かえって高野山の発展を妨げた。…

【金剛峯寺】より

… 金剛峯寺は空海によって開かれたが,その経営は代々紀伊国司が俗別当としてこれにあたった。889年(寛平1)伽藍がほぼ完成した時期に,空海の弟子真然は弟子の寿長を初代座主に補任し,以後真然直系で高野山に常住する僧をこれにあてることにした。空海の入唐中のノートである《三十帖策子》の帰属をめぐる紛争ののち,東寺長者観賢(かんげん)はみずから金剛峯寺の座主を兼務して,真然と共通の弟子峰禅を金剛峯寺正別当に任じ,以後東寺長者による金剛峯寺の支配体制を確立した。…

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