真然(読み)まっそう

精選版 日本国語大辞典 「真然」の意味・読み・例文・類語

まっ‐そう‥さう【真然】

  1. 〘 副詞 〙 ( 「まっ」は接頭語 ) 「そう」を強調していう語。まさにしかり。まったくそのように。
    1. [初出の実例]「子游が云処はまっさふ也」(出典:応永本論語抄(1420)陽貨第十七)

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朝日日本歴史人物事典 「真然」の解説

真然

没年:寛平3.9.11(891.10.17)
生年延暦23(804)
平安前期の真言宗の僧。「しんぜん」とも。讃岐国多度郡(香川県)の人,姓は佐伯氏,空海の甥に当たる。9歳で出家,空海に随身し,さらに真雅にも師事,天長8(831)年真雅より両部灌頂を受ける。承和1(834)年空海より高野山を付嘱され,空海入滅時にはその葬儀を指揮し,以後中院に住して高野山の経営に勤めた。同3年真済と共に入唐しようとして果たさず,同5年入唐の円行に託して空海の遺品をその師恵果の墓に供える。貞観18(876)年東寺長者真雅より『三十帖冊子』(空海が密教典籍を書写した冊子)を借覧し,高野に持ち帰ったのでのちに東寺との間に紛争が生じた。元慶8(884)年宗叡 に代わって東寺一長者となる。<参考文献>卍元師蛮本朝高僧伝』,杲宝『東宝記』,『弘法大師弟子譜』

(津田眞一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真然」の解説

真然 しんぜん

804/812-891 平安時代前期の僧。
延暦(えんりゃく)23/弘仁(こうにん)3年生まれ。真言宗。空海の甥(おい)という。空海にまなび,真雅より灌頂(かんじょう)をうける。空海の遺命により高野山金剛峰寺の経営にあたる。真済(しんぜい)とともに唐(とう)(中国)にわたろうとしたが,台風のため断念。のち権少僧都(ごんのしょうそうず),東寺長者となる。寛平(かんぴょう)3年9月11日死去。80/88歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。俗姓は佐伯。通称は中院僧正,後(のちの)僧正。

真然 しんねん

しんぜん

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世界大百科事典(旧版)内の真然の言及

【高野山】より

…空海の伽藍建設は講堂(金堂),中門を南北中心線上に,後方東西に大塔・西塔を胎蔵・金剛両界に比して配するという,高野山の立地条件をふまえた独自の構想によったが,その在世中には完成を見なかった。伽藍の完成は弟子真然(しんぜん)の時代で,真然は大塔,西塔を完成し,教学の興隆をはかり,寺領を確立するとともに高野山に座主職を置いた。この結果,真言教団の体制は整ったが,その極端な排他的高野山中心主義は,かえって高野山の発展を妨げた。…

【金剛峯寺】より

… 金剛峯寺は空海によって開かれたが,その経営は代々紀伊国司が俗別当としてこれにあたった。889年(寛平1)伽藍がほぼ完成した時期に,空海の弟子真然は弟子の寿長を初代座主に補任し,以後真然直系で高野山に常住する僧をこれにあてることにした。空海の入唐中のノートである《三十帖策子》の帰属をめぐる紛争ののち,東寺長者観賢(かんげん)はみずから金剛峯寺の座主を兼務して,真然と共通の弟子峰禅を金剛峯寺正別当に任じ,以後東寺長者による金剛峯寺の支配体制を確立した。…

【西教寺】より

…91年には戒壇も再興された。延宝(1673‐81)のころ比叡山の衆徒に当寺を延暦寺の末寺にしようとの動きがあったため,16世真然がこれに反対し,数十年間対立がつづいたが,輪王寺門跡の斡旋でその配下に属することとなり,天台律宗を号した。1872年(明治5)天台宗の支配を受けたが,78年独立して天台真盛派を公称した。…

※「真然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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