日本歴史地名大系 「長右衛門新田」の解説 長右衛門新田ちようえもんしんでん 東京都:足立区長右衛門新田[現在地名]足立区中川(なかがわ)一―三丁目・大谷田(おおやた)三―四丁目など蒲原(かばら)村の東に位置し、北は大谷田(おおやた)村。東は中川、南は古隅田(ふるすみだ)川に臨む。浅田長右衛門が文禄年間(一五九二―九六)に開いたと伝える(「東京府村誌」東京都公文書館蔵)。長右衛門の来歴は未詳であるが、当地の西光(さいこう)院に天明三年(一七八三)に建立された追善墓があり、慶安元年(一六四八)に没したと記されている。田園簿に長右衛門新田とみえ、田九九石余・畑六八石余、ほかに野銭永五一四文。 長右衛門新田ちようえもんしんでん 埼玉県:草加市長右衛門新田[現在地名]草加市長栄町(ちようえいちよう)清右衛門(せいえもん)新田の北にあり、北は東流する綾瀬川を隔て埼玉郡大間野(おおまの)村(現越谷市)。村域は同川右岸に沿い東西に長く、西方に大(おお)沼とよばれる入会の沼がある。河道変動により埼玉郡と足立郡の出入りがあったらしい。村名は開発者長右衛門に由来するとされるが、同人より先に武右衛門が開発したとも伝える(風土記稿)。「郡村誌」は往古は六貫野(ろつかんの)村と称したと記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by