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長岡護美

美術人名辞典の解説

長岡護美

勤王家・子爵。熊本藩主細川斉護の三男、韶邦の弟。分家して長岡姓を名乗る。国事に尽力し、王政復古後参与となり、欧米留学後華族に列せられる。貴族院議員・和蘭特命全権大使を務めた。明治31(1906)歿、65才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長岡護美 ながおか-もりよし

1842-1906 幕末-明治時代の武士,外交官。
天保(てんぽう)13年9月7日生まれ。肥後熊本藩主細川斉護(なりもり)の6男。分家して長岡姓を名のる。明治新政府の参与や熊本藩大参事をつとめたあと米英に留学。明治13年オランダ公使となった。のち元老院議官,貴族院議員。子爵。明治39年4月8日死去。65歳。通称は良之助,左京亮。号は雲海

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朝日日本歴史人物事典の解説

長岡護美

没年:明治39.4.8(1906)
生年:天保13.9.7(1842.10.10)
肥後(熊本)藩主細川斉護の第6子。勤王派として明治維新に活躍。雲海と号し詩をよくした。明治期は中国通として活躍。明治1(1868)年3月参与。3年熊本藩大参事。5年米国を経て英国ケンブリッジ大に留学。12年帰国。子爵を賜り,外務省御用掛となる。13年興亜会会長。同年オランダ駐箚特命全権公使となり,ベルギー,デンマーク両公使も兼務。15年元老院議官。16年高等法院陪席裁判官となり福島事件を裁判。31年東亜同文会副会長。34年清国に渡り,劉坤一,張之洞らと内政改革とロシア対策を会談。<参考文献>対支功労者伝記編纂会編『対支回顧録』

(佐々博雄)

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