朝日日本歴史人物事典 「長岡護美」の解説
長岡護美
生年:天保13.9.7(1842.10.10)
肥後(熊本)藩主細川斉護の第6子。勤王派として明治維新に活躍。雲海と号し詩をよくした。明治期は中国通として活躍。明治1(1868)年3月参与。3年熊本藩大参事。5年米国を経て英国ケンブリッジ大に留学。12年帰国。子爵を賜り,外務省御用掛となる。13年興亜会会長。同年オランダ駐箚特命全権公使となり,ベルギー,デンマーク両公使も兼務。15年元老院議官。16年高等法院陪席裁判官となり福島事件を裁判。31年東亜同文会副会長。34年清国に渡り,劉坤一,張之洞らと内政改革とロシア対策を会談。<参考文献>対支功労者伝記編纂会編『対支回顧録』
(佐々博雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報