日本大百科全書(ニッポニカ) 「長嶋藩」の意味・わかりやすい解説
長嶋藩
ながしまはん
伊勢(いせ)国桑名(くわな)郡長島(三重県桑名市長島町)周辺を領有した藩。譜代(ふだい)。長島城主(1万石)福島高晴(たかはる)が、関ヶ原の戦いで徳川方に属し軍功をあげ大和(やまと)宇陀(うだ)松山に移ると、1601年(慶長6)かわって上野(こうずけ)阿保(あほ)から菅沼定仍(すがぬまさだより)が入封、2万石を領した。当藩のおこりである。菅沼氏は1621年(元和7)近江(おうみ)膳所(ぜぜ)に移封となり一時廃藩。1649年(慶安2)下野(しもつけ)那須(なす)より松平康尚(やすひさ)が入封しふたたび立藩。1685年(貞享2)家督を継いだ二男忠充(ただみつ)は、1702年(元禄15)狂乱のため除封となる。かわって常陸(ひたち)下館(しもだて)より増山正弥(ましやままさみつ)(2万石)入封、正任(まさとう)、正武(まさたけ)、正贇(まさよし)、正賢(まさかた)、正寧(まさやす)、正修(まさなが)、正同(まさとも)と在封。なお、増山正弥の養父正利(まさとし)は宝樹院お楽(らく)の方(4代将軍徳川家綱(いえつな)生母)の弟ゆえ大名(西尾藩2万石)に取り立てられている。1871年(明治4)廃藩後、長島県、安濃津(あのつ)県を経て76年三重県に編入された。
[原田好雄]
『近藤杢・平岡潤著『桑名市史 本編・補編』(1959、60・桑名市教育委員会)』