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長楽門院 ちょうらくもんいん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長楽門院 ちょうらくもんいん

1283-1352 鎌倉-南北朝時代,後二条天皇の中宮(ちゅうぐう)。
弘安(こうあん)6年生まれ。徳大寺公孝(きんたか)の娘。正安(しょうあん)4年従三位となり入内(じゅだい)。天皇の死により尼となり,延慶(えんきょう)3年院号をうけた。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年2月1日死去。70歳。法名は真実覚。名は藤原忻子(きんし)。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

長楽門院

没年:文和1/正平7.2.1(1352.2.16)
生年:弘安6(1283)
鎌倉後期から南北朝期の女院。後二条天皇の皇后。名は忻子。太政大臣徳大寺公孝の娘。乾元1(1302)年入内し,翌年中宮となる。延慶1(1308)年,後二条天皇の死により出家。その2年後院号宣下。

(秋山喜代子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の長楽門院の言及

【徳大寺家】より

…笛を家業としたが,実能,実定などは和歌にすぐれ勅撰集に入集した歌人であった。第4代公継は承久の乱のとき,後鳥羽上皇を諫止したことで知られ,第7代実孝の女忻子は後二条天皇の皇后となり長楽門院の院号をうけている。 幕末より明治時代に活躍した実則(さねつね)(1839‐1919)は,侍従長,内大臣として,長い間,明治天皇の側近に仕え,1884年侯爵を授けられ,1911年公爵に昇った。…

※「長楽門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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