長沼庄・神崎庄(読み)ながぬのしよう・かんざきのしよう

日本歴史地名大系 「長沼庄・神崎庄」の解説

長沼庄・神崎庄
ながぬのしよう・かんざきのしよう

吉井川の左岸千町せんちよう川流域の現長沼ながぬま・神崎町を遺称地とし、同地一帯に推定される。長沼庄は古代邑久おく長沼郷(和名抄)の郷名を継ぐものか。また神崎は神前とも記された。ともに奈良東大寺領。建久六年(一一九五)五月七日の備前国に出された官宣旨案(堂本四郎氏所蔵文書)や同八年六月一五日の重源譲状(大日本史料)などによれば、両庄とともに豊原とよはら庄の加納半不輸の地で、潮損・不熟が常々の荒野であったという。平頼盛が備前国を知行のとき庁宣による免除を得て潮堤を築き固め、荒野を開発したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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