改訂新版 世界大百科事典 「長沼氏」の意味・わかりやすい解説
長沼氏 (ながぬまうじ)
中世,下野の在地領主。小山政光の子宗政を祖とする。宗政は,朝政(小山),朝光(結城)とともに小山三兄弟の一人で,治承・寿永の内乱期には,朝政とともに志田義広を下野野木宮(のぎのみや)合戦に破り,平氏や奥州藤原氏追討に戦功を立てた。1213年(建保1)には,畠山重忠の子の僧重慶が日光山麓で反乱を企てるとの風聞が立つと,逮捕の命に背いてこれを誅殺し,将軍源実朝の怒りを買った。承久の乱では戦功があり,淡路の守護に任命され,この翌々年淡路国大田文が作成されている。鎌倉中期には下野国長沼荘,小山荘内小薬郷などの本領のほか,陸奥,武蔵,美濃,淡路,美作などに散在所領を持っていた。南北朝期以降,下野の国人として鎌倉府に仕え,1396年(応永3)ころ,一時義秀は下野守護となり,上杉禅秀の乱で戦功があり勢力を伸ばしたが,秀宗は永享の乱では鎌倉公方足利持氏に従い,鎌倉で自害した。その子氏秀は結城合戦で上杉方に属し戦功をあげ,下野皆川荘に家を再興し,戦国時代の下野西南部の一勢力皆川氏の基礎を作った。
執筆者:峰岸 純夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報