日本歴史地名大系 「長海本庄・長海新庄」の解説 長海本庄・長海新庄ながみほんしよう・ながみしんしよう 島根県:松江市旧島根郡地区長海本庄・長海新庄現松江市の北東部にあった天皇家領庄園。本庄ともいわれた長海本庄は現長海町から現本庄(ほんじよう)町の地域に、新庄ともいわれた長海新庄は現新庄(しんじよう)町地域に比定されるが、両庄が錯綜していた可能性もある。貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門院領目録(島田文書)に上西門院から伝領された新御領の一つとして「出雲国長海庄」がみえる。まもなく新しく開発された地域が長海新庄として独立したのに伴って当初からの庄域は長海本庄とよばれるようになったとみられる。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の三番に「長海本庄五十丁持明院少将入道」とあり、鎌倉将軍宗尊親王の近習が地頭としてみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報