日本歴史地名大系 「長熊村」の解説 長熊村ながくまむら 千葉県:佐倉市長熊村[現在地名]佐倉市長熊上代(かみだい)村の南東、高崎(たかさき)川右岸に位置。千葉に至る道と通称五良(ごりよう)道が交差する。「和名抄」所載の印旛(いんば)郡長隈(ながくま)郷の遺称地とされ、地内には古代寺院跡の長熊廃寺がある。「本土寺過去帳」に応永一四年(一四〇七)八月四日に没した「ナカクマ」の妙久がみえる。天正二〇年(一五九二)から慶長七年(一六〇二)まで武田信吉領とみられ、天正二〇年三月に家臣帯金・佐野両氏により検地が行われて、反別二五町七反余・分米二三七石余、屋敷数一四(「検地帳」岩井家文書)。「寛文朱印留」には佐倉藩領として村名がみえ、以後幕末まで同藩領。元禄郷帳では高二四一石余。 長熊村ながくまむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区長熊村[現在地名]静岡市長熊安倍川支流の中河内(なかごうち)川中流に位置し、南は森腰(もりこし)村。永禄一〇年(一五六七)一〇月に安倍川中流やその支流の中河内川・西河内川流域の諸村を書上げた貫高注文写(宮本勉氏所蔵文書)に「五百文 長熊村」とみえる。広域地名としての安部山(あべやま)に属すると思われる。領主は安西外(あんざいそと)新田と同じ。元禄郷帳では高六三石余。旧高旧領取調帳では幕府領六三石余・普門(ふもん)寺(現曹洞宗)除地五斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by