日本大百科全書(ニッポニカ) 「長生庵」の意味・わかりやすい解説
長生庵
ちょうせいあん
京都・堀内(ほりのうち)家を代表する茶室で、同家初代仙鶴(せんかく)の好みになると伝えられる。1864年(元治1)の兵火に焼失後、旧規を踏襲して69年(明治2)に再建された。切妻造杮葺(こけらぶき)の屋根の前面に庇(ひさし)を付け下ろして深い土間庇を形成し、端正な外観を組み立てている。軒内に飛び石が打たれ、刀掛、塵穴(ちりあな)、蹲踞(つくばい)がまとまりある内露地の景色を展開している。内部は典型的な利休流の二畳台目(だいめ)を基本にしながら、窓の配置などに個性的なくふうが加味されている。天井は三段に構成され、躙口(にじりぐち)の正面に床(とこ)を構え、床の隣に給仕口をあけ、点前座(てまえざ)は台目構えで、勝手付に茶道口をあけている。客座の窓の配置にも特色があり、躙口と矩(かね)折りのやや高い所にあけられた下地(したじ)窓が注目される。
[中村昌生]