長良顧斎(読み)ながら こさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長良顧斎」の解説

長良顧斎 ながら-こさい

1747*-1806 江戸時代中期-後期医師,儒者
延享3年11月23日生まれ。代々医を業とした。京都の古義堂儒学を,吉益東洞(よします-とうどう)に医術をまなぶ。安永2年から伊勢(いせ)津藩につかえる。文化3年8月8日死去。61歳。名は承芳。字(あざな)は子軌。通称は洞彦。著作に「傷寒論私説」「楠正儀北降論」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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