20世紀日本人名事典 「長谷川謹介」の解説
長谷川 謹介
ハセガワ キンスケ
- 生年
- 安政2年8月10日(1855年)
- 没年
- 大正10(1921)年8月27日
- 出生地
- 長門国厚狭郡高千穂村(山口県)
- 学歴〔年〕
- 大阪英語学校卒
- 経歴
- 井上勝に認められ、明治7年鉄道寮に入る。10年京都‐大津間の鉄道工事建設事務に当たるが、これは日本人の手のみによる初めての鉄道工事の竣工だった。16年工部省一等技手となり、17年欧州に出張、19年技師となる。その後も鉄道技師として天竜川橋梁、台湾縦貫鉄道などを完成した。この間、25年一旦官を辞し日本鉄道技師、32年台湾鉄道敷設技師長、運輸長・汽車課長を経て、35年台湾総督府鉄道部長となる。41年欧米各国を視察して、同年創設された鉄道院技師となり、のち東部・西部・中部の鉄道管理局長などを歴任、大正5年技監、7年副総裁を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報