井上勝(読み)イノウエマサル

デジタル大辞泉 「井上勝」の意味・読み・例文・類語

いのうえ‐まさる〔ゐのうへ‐〕【井上勝】

[1843~1910]鉄道技術者。山口の生まれ。英国で鉱山・土木工学を学び、日本最初の鉄道を敷設した。鉄道庁長官。

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精選版 日本国語大辞典 「井上勝」の意味・読み・例文・類語

いのうえ‐まさる【井上勝】

  1. 明治初期の鉄道技術者。鉄道庁長官などを歴任。汽車製造株式会社設置。天保一四~明治四三年(一八四三‐一九一〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上勝」の意味・わかりやすい解説

井上勝
いのうえまさる
(1843―1910)

明治期の鉄道技術者。鉄道庁長官。長門国(ながとのくに)(山口県)の藩士井上勝行の三男として生まれる。野村家を継ぎ野村弥吉と名のり、明治維新後実家に復籍し井上勝と称した。長崎や江戸、そして箱館(はこだて)(函館)の武田斐三郎(たけだあやさぶろう)の塾で洋学を修めた。1863年(文久3)伊藤俊輔(しゅんすけ)(伊藤博文(ひろぶみ))、井上聞多(もんた)(井上馨(かおる))、山尾庸三(ようぞう)(1837―1917)、遠藤謹助(1836―1893)らとイギリスに密航、ロンドン大学で鉄道、鉱山技術を学び、1868年(明治1)帰国。1871年工部省鉱山頭兼鉄道頭に任ぜられたが、翌1872年鉄道頭専任となり、東京―横浜間の鉄道敷設に尽力した。関西で鉄道建設が始まると鉄道寮の大阪移転を断行した。外人技師主導からの自立を目ざし、日本人鉄道技術者を養成し、1871年からの京都―大津間の敷設には、彼自身技師長となり、初めて日本人だけで工事を完成した。技監、工部大輔(たいふ)、鉄道庁長官などを歴任、東海道線ほか幹線の敷設に貢献した。1893年、幹線国有化論を主張したことがもとで鉄道庁長官を辞任した。1896年汽車製造合資会社(のちに株式会社となったが、1972年、川崎重工業吸収)を設立社長となった。ロンドンで客死

[菊池俊彦]

『上田広著『井上勝伝』(1956・交通日本社/改題改訂復刻『鉄道事始め――井上勝伝』・1993・井上勝伝復刻委員会)』


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朝日日本歴史人物事典 「井上勝」の解説

井上勝

没年:明治43.8.2(1910)
生年:天保14.8.1(1843.8.25)
明治時代の鉄道官僚。長州(萩)藩士井上勝行の3男として萩に生まれる。幼名卯八,6歳で野村家の養子となり弥吉と改名。長崎でオランダ人教師から洋式兵法,また幕府の蕃書調所で洋学,さらに箱館の武田斐三郎から英語を学んだ。洋行費を村田蔵六(大村益次郎)の保証で長州藩御用達大黒屋榎本六兵衛が立て替え,ジャーデイン・マセソン商会の横浜店支配人の手助けにより,文久3(1863)年伊藤俊輔(博文),志道聞多(井上馨),山尾庸三,遠藤謹助と共にイギリスに密航,ロンドン大学で鉄道,鉱山,造幣技術を学び,明治1(1868)年に帰国。在英中に実家に復籍し,帰国後は勝を名乗った。2年10月新政府の造幣頭兼鉱山正に任ぜられたのち,4年8月鉱山頭兼鉄道頭に就任,翌年7月鉄道頭専任となり,東京・横浜間の鉄道開業に尽力した。 6年7月山尾との意見対立から一旦鉄道頭を辞任するが,伊藤の要請によって翌年1月復職,鉄道寮を大阪に移して大阪・神戸間の鉄道を開通させた。10年1月工部省鉄道局の設置にともない局長に就任,同年5月大阪停車場構内に工技生養成所を設けて日本人技術者の育成に努め,京都・大津間の建設工事では自らが技師長となり日本人独力で工事を完成させた。すでに決定していた中山道線建設案の東海道線建設への変更を上申し,19年7月政府はこれを正式に決定した。23年9月鉄道庁長官に就任,翌年7月「鉄道政略ニ関スル議」を上申して主要私設鉄道の買収を含む鉄道国有論を主張,しかし民間の鉄道業者らの反対が強まる中で26年3月鉄道庁長官を辞任。その後は鉄道車両の国産化を進めるため,井上馨,渋沢栄一らの賛同を得て29年9月に汽車製造合資会社(資本金64万円)を設立,同社社長に就任した。42年帝国鉄道協会会長に就任,翌年鉄道院顧問としてヨーロッパの鉄道事業を視察中ロンドンにて客死。墓所は東海道線と山手線を見下ろす品川の東海寺にある。<参考文献>上田広『井上勝伝』,野田正穂他編『日本の鉄道』

(沢井実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「井上勝」の解説

井上 勝
イノウエ マサル

明治期の鉄道技術者 鉄道庁長官;貴院議員。



生年
天保14年8月1日(1843年)

没年
明治43(1910)年8月2日

出生地
長門国萩(山口県)

別名
幼名=卯八,別名=野村 弥吉(ノムラ ヤキチ)

経歴
6歳の時に野村家の養子となる。江戸の蕃書調所や箱館の武田斐三郎の塾で洋学を、箱館駐在英国副領事に英語を学ぶ。文久3年(1863年)伊藤博文、井上馨らと長州藩を脱藩して英国に留学、ロンドン大学で鉱山・鉄道を学び、明治元年帰国、井上家に復籍した。2年造幣頭兼鉱山頭に任ぜられ、民部権大丞、4年工部省鉱山頭兼鉄道頭、5年鉄道頭専任となり、東京横浜間鉄道の敷設に尽力。6年いったん辞職するが、7年再任すると、鉄道寮を大阪に移して関西における鉄道建設を推進。10年官制改正によって鉄道局長となり、大津京都間の工事では自らが技師長を務め、初めて外国人技師の手を借りずに完成させた。18年鉄道局長官に就任、伊藤首相を説いて建設中の中山道幹線鉄道を東海道経由に変更させ、22年これを全通させた。23年貴院議員、官制改正により鉄道庁長官となり、鉄道の国有化を主張。25年鉄道敷設法を実施するが、26年退官。29年汽車製造合資会社を設立、42年帝国鉄道協会会長となり、鉄道の発展に尽力した。43年鉄道院顧問として渡英、ロンドンで客死した。

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改訂新版 世界大百科事典 「井上勝」の意味・わかりやすい解説

井上勝 (いのうえまさる)
生没年:1843-1910(天保14-明治43)

“鉄道の父”と呼ばれた明治前期の鉄道官僚。長州藩士の家に生まれた。1863年(文久3)同藩の井上馨,伊藤博文らとともに国禁をおかして渡英し,鉱山と鉄道を研究して68年(明治1)に帰国。69年造幣頭兼鉱山正,71年鉱山頭兼鉄道頭に就任,日本最初の鉄道である東京~横浜間鉄道の建設に従事した。その後,鉄道局長,鉄道庁長官を歴任し,とくに東海道線の建設では常に陣頭指揮に立ち,他方,幹線鉄道国有主義を主張して政府の鉄道政策に大きな影響を及ぼした。90年貴族院議員となり,93年に退官した後は機関車の国産化のため大阪に汽車製造合資会社を設立。また1909年には帝国鉄道協会の会長に就任。翌10年,鉄道院顧問として欧米の鉄道視察の途上,ロンドンで客死した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井上勝」の意味・わかりやすい解説

井上勝
いのうえまさる

[生]天保14 (1843).8.1. 長州
[没]1910.8.2. イギリス,ロンドン
明治期の鉄道官僚,技術者。長州藩士。通称は弥吉。養子となり野村姓を名のる。文久3(1863)年,伊藤博文井上馨ら長州藩志士とともに密航してイギリスに渡り,ロンドン大学で学ぶ。化学をはじめ鉄道,鉱山関係の技術を学んだ。明治1(1868)年帰国し,井上姓に復帰して勝と改名。工部省に出仕し,1871年に鉄道頭兼鉱山頭となる。イギリスから資本と技術の援助を受けた鉄道建設事業に力を注ぎ,日本人技術者の養成を志してみずから技術監督にあたった。1881年工部大輔,1890年鉄道庁長官を歴任。「鉄道政略ニ関スル議」で鉄道国有論を提唱。海外視察中,ロンドンで客死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上勝」の解説

井上勝(1) いのうえ-まさる

1843-1910 明治時代の鉄道技術者,官僚。
天保(てんぽう)14年8月1日生まれ。もと長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。文久3年伊藤博文(ひろぶみ)らとイギリスに密航,ロンドン大で鉱山・鉄道の技術をまなび,明治元年帰国。工部省鉄道頭(のち鉄道局長)となり,5年新橋-横浜間を開通させ,22年東京-神戸間を全通させた。23年鉄道庁長官。29年汽車製造会社を設立して初代社長。鉄道院顧問として欧米視察中,明治43年8月2日ロンドンで死去。68歳。

井上勝(2) いのうえ-まさる

?-1904 明治時代の軍人。
明治33年義和団の乱に際し歩兵第二十一連隊第一中隊小隊長として出征する。37年日露戦争には歩兵大尉として従軍,7月24日太平嶺の激戦で負傷し,25日死去。高知県出身。陸軍士官学校卒。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「井上勝」の解説

井上勝
いのうえまさる

1843.8.1~1910.8.2

明治期の鉄道官僚。長門国生れ。萩藩士の三男。1863年(文久3)脱藩してイギリスに密航,ロンドン大学で土木・鉱山学を学ぶ。68年(明治元)に帰国後明治政府に出仕,鉄道行政にかかわり鉄道頭・鉄道局(庁)長官などを歴任。91年に著した「鉄道政略ニ関スル議」は,官設官営主義の立場から全国的な鉄道体系を構想したもので,翌年の鉄道敷設法制定の契機となった。

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