長谷川銈五郎(読み)ハセガワ ケイゴロウ

20世紀日本人名事典 「長谷川銈五郎」の解説

長谷川 銈五郎
ハセガワ ケイゴロウ

明治〜昭和期の実業家



生年
慶応3年11月11日(1867年)

没年
昭和6(1931)年11月30日

出生地
肥前国唐津(佐賀県)

学歴〔年〕
唐津中学校〔明治12年〕中退

経歴
唐津藩士・長谷川久誠の六男として生まれる。明治12年三菱物産長崎支店に入り、ロンドン支店長代理、大阪支店副支配人、神戸・香港門司の各支店長を務め、36年病気のため退社。のち独立して海運業を営み、転じて静岡県土肥金山開発し同社社長となり、長慶商会社長も務める。この間、明治製煉、大連土地家屋会社を創立して専務に就任する。のち神戸で摩耶鋼索鉄道などを経営し、神戸商業会議所特別議員に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川銈五郎」の解説

長谷川銈五郎 はせがわ-けいごろう

1867-1931 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応3年11月11日生まれ。三井物産長崎支店にはいり,神戸,香港,門司の支店長をつとめる。明治36年退社して海運業をはじめ,また静岡県の土肥(とい)金山を開発。のち神戸で摩耶(まや)鋼索鉄道などを経営した。昭和6年11月30日死去。65歳。肥前唐津(からつ)(佐賀県)出身。唐津中学中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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