朝日日本歴史人物事典 「開明門院」の解説
開明門院
生年:享保2.7.18(1717.8.23)
江戸中期の后妃。桃園天皇の生母。姉小路実武の娘。名は定子。東宮(桜町天皇)上臈として勤仕。桜町天皇の践祚に伴い,その後宮に入って典侍となり,皇子(桃園天皇)を儲ける。桃園天皇が践祚すると,従三位に叙せられ,また大典侍として奥向きを取り締まった。三位局とも称される。桃園天皇の急死後,その処遇が朝幕間の懸案となった。同天皇が青綺門院を「実母」としていたためである。結局,准三宮を経ないで院号宣下を受け開明門院となるが,これは歴史上,稀有な例である。またこの折,幕府から毎年米1000俵が進上されることに決まった。その後,剃髪して法名を哲堂という。墓所は京都清浄華院。
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報