日本大百科全書(ニッポニカ) 「間島事件」の意味・わかりやすい解説
間島事件
かんとうじけん
1920年、間島地方(ほぼ中国吉林(きつりん/チーリン)省延辺(えんぺん/イエンピエン)朝鮮族自治州にあたる)の抗日朝鮮民族独立運動に対し、日本軍が行った弾圧事件。三・一独立運動以後、多くの独立運動家が日本の弾圧を避けて、国外で活動を続けた。間島地方では山や丘陵に囲まれた地の利と、シベリアに接していることからロシア革命勢力の支援を受けて、独立運動が大規模に、また組織的に行われていた。
1920年の9月と10月、2回にわたり「不逞(ふてい)鮮人」(日本が抗日朝鮮人に対して用いた呼称)が琿春(こんしゅん/フンチュン)にあった日本領事館を襲ったとして、軍隊が派遣された。しかし派兵の直接的契機となった10月の事件は、被害内容、日本軍の対応の早さなどから、口実をつくるための謀略である可能性が強いといわれている。日本軍は翌年1月の撤兵まで、襲撃、虐殺、暴行を行い、数千人の朝鮮人が犠牲となった。
[松本俊郎]
『姜徳相編『現代史資料27・28』(1970、72・みすず書房)』