関口台町(読み)せきぐちだいまち

日本歴史地名大系 「関口台町」の解説

関口台町
せきぐちだいまち

[現在地名]文京区関口せきぐち二―三丁目

関口駒井せきぐちこまい町前から高田四ッ家たかだよつや町辺りまで北西に走る目白坂の通りに面して散在する町屋一帯新長谷しんはせ寺の目白不動にちなみ目白台とも通称された。古くは関口村の畑地で、天和二年(一六八二)百姓町屋を許され、享保五年(一七二〇)町並地となった。目白坂の通りの両側ともに町屋が形成されていたが(北東側は延べ間口が田舎間で一二七間余、南西側は同五七間余)、町屋の間には寺社境内地や武家屋敷が割込んでいて、一続きの町場ではなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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