関本理遊(読み)せきもとりゆう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「関本理遊」の意味・わかりやすい解説

関本理遊
せきもとりゆう
(1772―1849)

江戸の人で、いけ花流派古流中興の祖とされている。安藤凉宇(りょうう)について生花を学び松盛斎と号す。1800年(寛政12)奥書の自筆『関本理遊自筆作品巻』に花型が残されているが、のびやかな感情にあふれた作風を示している。古流3代目を称しその普及にも努め『古流生花百瓶(ひゃくへい)之図』をはじめ『古流生花門中百瓶図』『古流生花再撰(さいせん)百瓶図』『古流生花門中百五十瓶図』など次々に刊行し、今日の古流の花型の規範を定め、全国に古流の名を広めた。

[北條明直]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関本理遊」の解説

関本理遊 せきもと-りゆう

1772-1849 江戸時代後期の華道家。
安永元年生まれ。江戸の人。加賀金沢藩邸出入りの花商。古流2代安藤凉宇(りょうう)に師事して松応斎(しょうおうさい)の号をうけ,のち松盛斎と称して古流3代をつぐ。流派中興の祖と称された。嘉永(かえい)2年7月17日死去。78歳。編著に「古流生花門中百五十瓶図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の関本理遊の言及

【古流】より

…宗普の花論については不詳だが,その弟子安藤涼宇は湯島天神下に住み,大名屋敷などに出入りして古流としての流派形成の基盤をつくり,江戸市中を中心として発展させた。寛政年間(1789‐1801)ごろより涼宇門下で古流中興の祖といわれた関本理遊の活躍によって関東一円から北陸にかけて流派の組織がひろがっていった。理遊は文化・文政年間(1804‐30)という江戸後期文化の華やかな時代に,未生流などの花形理念形成の刺激を受け,古流の花形の規矩を明確化し出版活動とあわせ古流の声名を高めた。…

※「関本理遊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android