…宗普の花論については不詳だが,その弟子安藤涼宇は湯島天神下に住み,大名屋敷などに出入りして古流としての流派形成の基盤をつくり,江戸市中を中心として発展させた。寛政年間(1789‐1801)ごろより涼宇門下で古流中興の祖といわれた関本理遊の活躍によって関東一円から北陸にかけて流派の組織がひろがっていった。理遊は文化・文政年間(1804‐30)という江戸後期文化の華やかな時代に,未生流などの花形理念形成の刺激を受け,古流の花形の規矩を明確化し出版活動とあわせ古流の声名を高めた。…
※「関本理遊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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