安藤凉宇(読み)あんどうりょうう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安藤凉宇」の意味・わかりやすい解説

安藤凉宇
あんどうりょうう
(1734―1807)

江戸時代後期の花道家。丹波篠山(たんばささやま)(兵庫県)の人で、いけ花流派古流の創始者とされる今井一志軒宗普(いっしけんそうふ)の跡を継いで松応斎と号し、江戸本郷の湯島天神女坂下に居を構え古流2代を唱えたと伝えられる。『挿花濫觴記(いけばならんしょうき)』によれば、遠州流の祖、春秋軒一葉(しゅんじゅうけんいちよう)の門下で、のちに古流を名のったと伝えている。作品および著書も残らず、作風や花論については不明であるが、文献上実在の人物であることは確かで、藤野三楽と関本理遊世話人となって建てた墓が、台東区蔵前(くらまえ)の浄念寺に残っている。

[北條明直]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安藤凉宇」の解説

安藤凉宇 あんどう-りょうう

1735-1808* 江戸時代中期-後期の華道家。
享保(きょうほう)20年生まれ。春木三応(さんおう)にまなぶ。晩年江戸本郷の湯島天神下に居をかまえ,門人教授今井宗普(そうふ)の跡をついで古流2代をとなえる。華道家元の江戸入りのはじめという。文化4年12月26日死去。73歳。丹波篠山(ささやま)(兵庫県)出身。初号は宜松斎,のち松応斎。

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