関柴村(読み)せきしばむら

日本歴史地名大系 「関柴村」の解説

関柴村
せきしばむら

[現在地名]喜多方市関柴町関柴

姥堂うばどう川を隔てて下柴しもしば村の北西、会津盆地北東縁の山際に位置する。北は中田付なかたづき村との村境をなす山が続く。本村の北方に打入うちいり、同所北東山中に菅沼すがぬまの小名があり、ほかに端村として河岐かわまた(川又・川俣)太田おおた(大田)西条にしじよう(西城)赤坂あかさか高橋たかはし入柴いりしば茅場かやば(萱場)婆柳うばなぎ(姥柳)の各端村があった。小名菅沼は寛文七年(一六六七)中田付村から分れたという(新編会津風土記)。小田付組に属した。地内には大永二年(一五二二)蘆名氏家臣松本長門が築いたとされる館跡がある。長門の子備中は天正一三年(一五八五)伊達政宗に内応、伊達勢を引入れたが、蘆名氏の臣沼沢出雲に討たれ、父長門も生捕られて処刑されたという(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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