関淑子(読み)セキ トシコ

20世紀日本人名事典 「関淑子」の解説

関 淑子
セキ トシコ

昭和期の社会運動家



生年
明治41(1908)年9月10日

没年
昭和10(1935)年1月27日

出生地
東京市本郷区千駄木

学歴〔年〕
津田英学塾卒

経歴
府立第二高女を経て津田塾に在学中の昭和2年8月、プロレタリア劇場の北海道公演に参加して検挙され、以来マルクス主義を研究。帰京後、木材関係の労組を経て関東金属労組本部書記に就任。4年共産党員佐藤秀一と結婚。5年全協刷新同盟に参加、10月解散、日立亀戸工場と精工舎の労働者を組織する。6年日本共産青年同盟に参加。7年3月横浜で検挙され拷問に遭い危篤となり、釈放。同9月街頭連絡活動中に検挙、投獄。8年秋、肺結核で重態となり保釈され地下活動を開始する。刑は懲役3年に加え逃亡罪1年。9年12月党中央との連絡を回復し工場に入る準備をしていたが、10年1月住み込み先の火災で死亡。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関淑子」の解説

関淑子 せき-としこ

1908-1935 昭和時代前期の社会運動家。
明治41年9月10日生まれ。関鑑子(あきこ)の妹。女子英学塾(現津田塾大)在学中よりプロレタリア演劇運動に参加。日本労働組合全国協議会関東金属労組本部書記などをつとめる。地下活動で潜伏中の昭和10年1月27日東京浅草で焼死。28歳。東京出身。名は「よしこ」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「関淑子」の解説

関 淑子 (せき としこ)

生年月日:1908年9月10日
昭和時代の社会運動家
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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