結核菌による肺の感染症。日本では古くは労咳(ろうがい)と呼ばれ,ヨーロッパでも〈白いペスト〉の名で恐れられた。かつて肺結核は結核全体の大部分を占めてはいたが,結核そのものの減少のなかで,呼吸器以外の結核が著しく減少したため,近年,肺結核の占める率は相対的に大きくなり,1994年の結核登録者調査では,結核全体の90%以上となっている。また罹患率,死亡率ともに,第2次大戦直後までは,10歳代後半から30歳代前半にかけて大きなピークがみられたが,近年では,60歳以上で高率となり,老人結核が問題になっている。なお,肺結核の疾病史については〈結核〉の項を参照されたい。
肺結核についての研究は,R.コッホが結核菌を発見する以前に,すでに17~18世紀から始まっていた。たとえば17世紀のオランダの医師F.シルビウスは結核結節について記載しているし,イギリスのベーリーMatthew Baillie(1761-1823)も《人体諸器官の病的解剖学》(1793)において,肺結核について詳細に記載している。19世紀に入り,聴診器を考案したフランスのR.T.H.ラエネクは多数の結核患者の解剖から,肺結核を滲出型と増殖型に分けた(1819)。この考えは今でも失われていない。さらに1865年,フランスのビユマンJean Antoine Villemin(1827-92)は結核患者の喀痰を動物に接種して,肺結核の感染性を初めて立証した。コッホの結核菌発見は,これを実証したものであった。
肺結核の治療法として,イタリアのフォルラニーニCarlo Forlanini(1847-1918)は1882年人工気胸療法を創始した。また95年のレントゲンのX線発見は,肺結核の臨床診断に画期的進歩をもたらした。さらに1908年,パスツール研究所のA.カルメットとC.ゲランは,病原性なしに人体に結核免疫を人工的に与えることのできるBCGの発見に成功し,21年フランスのアレAdrien Hallé(1859-1947)はBCGワクチンを新生児に初めて結核発病予防の目的で接種した。このBCGは25年志賀潔によって日本にもたらされ,昭和の初めのころから今村荒男を中心とする研究が始まった。
この間,肺結核の外科手術として,19世紀末ころからしだいに発達をとげた胸部成形術が隆盛となり,人工気胸療法の隆盛と相呼応して,ともに肺結核治療の主座を占めるようになった。それは有力な肺結核の治療薬が出現しないためでもあった。
しかし,44年に至ってアメリカのS.A.ワクスマンが,土壌の中の放線菌の1種から抗生物質であるストレプトマイシンを発見し,結核化学療法の輝かしい第一歩をふみだした。同年,パラアミノサリチル酸(パス,PAS)が人体に用いられ,46年スウェーデンのO.レーマンによって,その臨床効果が発表された。52年にはイソニアジド(イソニコチン酸ヒドラジド)が有力な抗結核剤として登場した。日本ではこの三つの薬の長期間(2年以上)併用が標準化学療法として行われ,肺切除術の安全性も非常に高まったため,かつて〈気胸と成形〉を主とした肺結核治療は,〈化学療法と肺切除〉を主とした様相を呈するに至り,結核死亡率は著しい減少を示した。その後ピラジナミド,エチオナミド,カナマイシン,エタンブトールなどが相次いで開発され,これに続いて66年,イソニアジドと同等の殺菌力をもったリファンピシンが登場した。このリファンピシンの登場は,これまでの化学療法の限界を打破するきっかけとなった。そしてリファンピシン,ストレプトマイシン,イソニアジドの強化処方の短期間(6ヵ月)投与によって全例結核菌が陰性化し,再発率がわずか2%以下に抑えられるという優れた成績が,イギリスのフォックスW.Foxらによって75年に報告された。これによって肺結核の初回治療例のほとんどが,手術によらず化学療法によって発病1年以内に治すことができるという新しい時代が到来した。コッホが結核菌を発見して以来ほぼ100年で,日本でも1950年代までは広くまん延していた肺結核を制圧することに成功したといえるだろう。
肺結核の起り方に二つの様式がある。
(1)初感染結核症 個体の抵抗力と感染菌量とのかねあいで,初感染にひきつづき病勢が進展する場合をいい,初期結核症ともいう。家族内感染のような乳幼児の濃厚感染例に多くみられる。肺門リンパ節結核は一つの病型で,肺門リンパ節が腫大して起こる。自覚症状は軽く,ほとんど無自覚のこともある。大多数は治癒するが,なかには結核性胸膜炎,血行性結核または肺結核へ進展するものもある。結核菌が血流中に入ると,粟粒(ぞくりゆう)結核や結核性髄膜炎を起こす危険が高い。
(2)慢性肺結核症 初感染がいったん治まったのち,数年ないし数十年後に再び発病する場合をいい,既感染発病とも呼ばれる。初感染後病巣内に生き残っていた結核菌により再燃するもので,成人層の発病はほとんどが既感染発病である。再燃の原因として,(1)過労,(2)低栄養(胃・十二指腸潰瘍の手術後など),(3)高齢,(4)副腎皮質ホルモン,抗癌剤などの免疫抑制薬投与,(5)糖尿病,塵肺(じんぱい),慢性腎不全の血液透析などがあげられ,抵抗力が低下するような条件があると発病しやすい。
既感染発病は肺上葉の肺尖部や下葉の上部に好発する。肺の乾酪巣が融解して空洞形成が起こると,結核菌を多く含んだ空洞内容物(咳で排出されると痰となる)が気管支を経由して広がり,新しい病巣をつくる。初期感染発病と同様に,結核性肺炎,胸膜炎および膿胸,粟粒肺結核なども起こりうる。
肺結核の症状は少なく,本人が病気であることに気がつきにくい。診断が確定してからさかのぼって調べてみると,多くの場合,なんとなく疲れやすかったということが非常に多い。自覚症状として,全身倦怠感,食欲不振,微熱,寝汗,やせ(体重減少)がみられ,呼吸器症状として,持続性の咳,痰が主であって,ときに血痰,喀血をみることがある。胸膜に病変が及ぶと胸痛が自覚される。結核という病気は,従来は軽いうちは自分で気がつきにくいため,早期発見には定期的な検診が必要とされていた。しかし今日では,患者の早期発見にはこれらの症状が現れたときに受診することがたいせつであるとされている。
胸部X線検査,ツベルクリン反応検査,結核菌検査などが行われる。
(1)胸部X線検査 肺は空気含量の多い臓器なので,そこに発生した病変はかなり小さいものでも,普通のX線検査で発見することができる。したがってX線検査が結核診断の第一の手がかりとなる。側面撮影,断層撮影は病巣の位置や性状を詳しく分析するのに役立つ。結核の特徴として,好発部位が後上方であるほかに,しばしば空洞を伴い,おもな病巣の周辺に散布をみることや,石灰化巣を伴うことも多い。慢性になると新旧種々の病変が混在し,古い病巣は収縮傾向が著しい。
(2)ツベルクリン反応検査 胸部X線所見で結核が疑われた場合に,次に行うべき検査はツベルクリン反応と結核菌検査である。ツベルクリン反応は,もし陰性か疑陽性なら結核を否定する有力な根拠となる。一方,ツベルクリン反応が陽性であったとしても,結核という病気の診断を支持するものではない。その理由は,中高年層では過去の結核感染により,また若年層ではBCG接種の普及によって,ほぼ80%がツベルクリン反応陽性となっているからである。ただ青少年層では,初感染後あまり長期間たたずに発病するものが多いので,ツベルクリン反応が強陽性に出ているときには,結核診断を支える一つの根拠となる。
(3)結核菌検査 胸部X線検査は非常に鋭敏に異常を発見することのできる手段であるが,特異的な検査法ではない。細菌検査で結核菌を証明しないかぎり,結核という病気の診断をつけることができない。結核菌検査は鋭敏度では胸部X線検査に劣るとしても,特異性の高い検査である。X線検査で異常影がみられた場合に,結核菌検査は必ず行われなければならない。検査材料としては,なるべく痰を用いる。痰がどうしてもとれない場合には,喉頭粘液か胃液を材料にして検査を行う。痰を材料に用いるときには塗抹標本にしたり培養を行い,喉頭粘液,胃液については培養を行う。塗抹標本で結核菌が見つかったとき塗抹陽性というが,これは排菌量が多いことを示し,他人への感染源として最も危険であることを意味する。培養陽性のときには耐性検査を実施し,治療方針を決める参考とする。
(4)その他の検査 赤沈検査は病状経過をみる参考となる。
最も問題になるのは,肺炎や肺癌との鑑別である。肺炎の場合には,結核に比べて病状が短期間に変化するので鑑別ができるが,痰の細菌検査は必ず行っておかねばならない。肺癌の場合には,結核と同じようにあらゆる型のX線写真像を示しうるので,40歳以上になって新たに病巣が発見された場合には肺癌を疑い,痰の結核菌検査と細胞診,必要によっては気管支鏡を用いて得られた擦過物の結核菌塗抹標本の検鏡,培養と細胞診,ツベルクリン反応を行わなければならない。
肺結核の予後は病状と治療によって大きく左右される。化学療法のない時代の結核の予後は悪く,痰の塗抹標本で結核菌陽性の患者は2年間でほぼ1/2が死亡し,1/4が慢性化し,1/4が自然に治癒していた。ところが,化学療法が出現し,薬の処方が強化されるにともなって,肺結核の大半が治るようになった。
しかし最近の結核死亡例を分析すると,発見時すでに重症で1年以内に死亡する場合,結核菌に薬剤耐性ができて慢性の経過をとって死亡する場合,結核は活動性でなくなったが心肺機能不全で死亡する場合に分けられ,その割合はほぼ1対1対2である。したがって,肺結核の予後は必ずしも非常によくなっているとはいえない。予後を向上させるためには,早期発見と適切な処方,それに確実な服薬がたいせつである。
肺結核の治療には化学療法,外科療法などがある。
(1)化学療法 肺結核は初回治療で確実に治すことがたいせつである。このためには適切な処方を選び,患者に確実に服薬させなければならない。現在ある12の抗結核薬中,治療の主軸となるのは殺菌性の最も強力なイソニアジドisoniazid(INHと略記)とリファンピシンrifampycin(RFPと略記)である。塗抹陽性または空洞のある患者ではINHとRFPに当初6ヵ月はストレプトマイシンstreptomycin(SMと略記)(初め2~3ヵ月は毎日,その後は週2回)かエタンブトールethambutol(EBと略記)を併用し,その後はINHとRFPのみとして,全体の治療期間9~12ヵ月で治療を終了するのが標準処方である。塗抹陰性で空洞のない患者では,初めからINHとRFPの2者併用で,治療期間は6~9ヵ月とする。上記の処方中の抗結核薬のいずれかに耐性が生じたり,副作用で使えないときには,その薬に代えて他の薬を用いることになるが,効果と副作用からみて用いやすいのはカナマイシンkanamycin(KMと略記),エチオナミドethionamide(THと略記)などである。ピラジナミドpyrazinamide(PZAと略記)は欧米では高く評価され,短期化学療法の当初2ヵ月くらい用いられているが,副作用が強く日本では多くは使われていない。
副作用のおもなものは,マイシン系薬剤による聴力障害,硫酸ストレプトマイシンによる平衡障害,TH・PZA・RFPの肝臓障害,EBの視力障害,サイクロセリンcycloserine(CSと略記)・THの精神障害,INH・EBの末梢神経炎,TH・パスによる胃腸障害,各種薬剤に対するアレルギー反応などである。これらの副作用については,定期的検査と患者からの申出によって早期に発見し,服薬を中止して他剤に変更したり,減感作療法を行うなどの対策を講じなければならない。
(2)外科療法 化学療法の進歩に伴って,肺結核に際しての手術の必要性は,以前に比べてかなり少なくなってきている。しかし,化学療法を行ったにもかかわらず排菌が続く場合は絶対的に必要になる。手術に際しては,術後の肺機能を十分に保つように配慮することが必要である。
(3)生活指導 化学療法が有効に行われているときには,あまり厳重な生活規制は必要ではない。塗抹陽性時には短期間入院を要するが,排菌陰性後は外来で治療する。また喀血,血痰,発熱などの著しい症状がある間は安静が必要である。食事についても体重減少の著しい例を除いては,特別な配慮は必要としない。なお,医療費については公費負担制度があるので,医師としてはこれを活用して,患者が安心して治療を受けられるように配慮することがたいせつである。
→ツベルクリン反応 →BCG
執筆者:三上 理一郎
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
結核菌の感染による肺の伝染性疾患。
[編集部]
…したがって気道を通して外界と交通のある肺の病変で最も多く認められるもので,主として肺疾患のときに好んで用いられる言葉である。最も多い疾患は肺結核に際して生じる結核性空洞cavity tuberculousで,中心の乾酪壊死物質は一部は吸収されるが,大部分は気道を通じて咳や痰とともに放出されて中空をつくる。空洞の壁は結核特有の肉芽腫性炎症組織で厚く囲まれ,胸部レントゲン写真で明りょうに写し出される。…
… 結核菌の感染を受けてできた上記の小さな肺の病変は,大部分は石灰がたまって治るが,一部の人では1年後,2年後,あるいは10年以上たってから発病する。最近では初感染発病は減少し,既感染発病が目だっており,また結核のなかでは肺結核が大多数を占めている。結核の広がり方には管内性転移,血行性転移,リンパ行性転移の三つの経路がある(なお転移metastasisとは,病原体や癌細胞などがある場所から離れた別の場所に移行し,そこに原発巣と同じ病変を起こすことをいう)。…
…換気分布も同じ方向の差があるが,血流の上下差のほうが大きいため,換気と血流の比(換気血流比)は,肺尖で大きく,その結果肺胞気酸素分圧は高く,肺下部ではいずれの値も小さくなる。肺結核はヒトでは肺尖に多く,ウシでは背部に多いといわれるが,いずれも換気血流比の大きい場所にあたるという人がいる。血流分布の変化として,肺鬱血(うつけつ)の場合,肺尖で血流が増加し,肺下部で減少する。…
※「肺結核」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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