関目村(読み)せきめむら

日本歴史地名大系 「関目村」の解説

関目村
せきめむら

[現在地名]城東区関目一丁目・同三丁目・同五丁目・成育せいいく一―五丁目・中央ちゆうおう三丁目

野江のえ村の東にあり、北は京街道(東海道)を隔てて南島みなみしま(現旭区)集落は村域北部に位置。元和元年(一六一五)から同五年まで大坂藩松平忠明領、続いて幕府領。貞享二年(一六八五)大坂御船手小浜広隆領となり、子行隆が相承、宝永二年(一七〇五)行隆転封により幕府領に戻り幕末に至ったとみられる。元和初年の摂津一国高御改帳では四二三石余、享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調では三八九石余に減じ、以後の変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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