関直之(読み)セキ ナオユキ

20世紀日本人名事典 「関直之」の解説

関 直之
セキ ナオユキ

明治〜昭和期の養魚家 東京湾周辺における養魚の先駆者



生年
嘉永3年(1850年)

没年
昭和14(1939)年5月

経歴
明治10年より東京の深川平井町で養魚をはじめる。のち深川洲崎にある渋沢栄一所有の東京湾に面した園池を利用して鯉や鰻などを養殖。次いで30年には前田家の養魚池長期間借用し、渋沢の協力のもとで洲崎養魚株式会社を設立、東京湾岸における魚介類の養殖事業の拡大発展に尽力し、大いに業績を上げた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「関直之」の解説

関直之

没年:昭和14.5(1939)
生年:嘉永3(1850)
明治大正期,東京湾周辺における養魚業,貝類養殖業の先駆者。明治10(1877)年,深川平井町で養魚を開始。その後,東京湾に面した深川洲崎の渋沢栄一所有の遊覧用の園池を利用して鰻,鯉,鯔の養殖を行った。同30年には前田家の養魚池を長期借入して渋沢栄一らと共同で洲崎養魚株式会社を設立し事業を拡張した。<参考文献>『渋沢栄一伝記史料』58巻

(加瀬和俊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関直之」の解説

関直之 せき-なおゆき

1849-1925 明治-大正時代の水産養殖家。
嘉永(かえい)2年生まれ。明治10年東京深川平井町で養魚をはじめ,30年前田家の養魚池をかりうけて渋沢栄一の援助で洲崎養魚会社を設立,魚介類の養殖事業を拡大発展させた。大正14年5月14日死去。77歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android