20世紀日本人名事典 「関行男」の解説 関 行男セキ ユキオ 昭和期の海軍中佐 海軍神風特別攻撃隊敷島隊指揮官。 生年大正10(1921)年8月29日 没年昭和19(1944)年10月25日 出生地愛媛県 学歴〔年〕海兵(第70期)〔昭和16年〕卒 経歴昭和18年第39期飛行学生として艦爆教程修了。宇佐海軍航空隊を経て、19年1月霞ケ浦航空隊付教官、同年5月大尉となり、9月台湾の台南航空隊入隊、フィリピン201空分隊長となる。戦局の暗転する中、“捷一号”作戦が発令され、10月大西滝治郎第1航空艦隊司令長官の決断によって「神風特別攻撃隊」の隊長に任命された。同月25日敷島隊の5機を率いて出撃、米空母カリニン・ベイに体当りし戦死し、“特攻第一号”“軍神”とされた。死後2階級特進をうけ、中佐。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関行男」の解説 関行男 せき-ゆきお 1921-1944 昭和時代前期の軍人。大正10年8月29日生まれ。太平洋戦争で日米海軍がたたかったレイテ島海戦中の昭和19年10月25日,零戦による「神風(しんぷう)特別攻撃隊」隊長(敷島隊指揮官)として米空母に体当たりして戦死。24歳。「特攻第一号」「軍神」となり,海軍大尉から中佐に2階級特進。愛媛県出身。海軍兵学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by