日本海軍が第二次世界大戦中に使用した戦闘機。正式には零(れい)式艦上戦闘機(略して零戦(れいせん))というが、一般にはゼロ戦の呼び方で通っている。1号機が初飛行したのは1939年(昭和14)4月1日で、翌1940年夏に中国戦線に出動、1941年12月の太平洋戦争開戦時には海軍の主力戦闘機となっていた。設計を担当したのは三菱(みつびし)重工業の堀越二郎技師で、機体の軽量化を徹底して図り、当時の世界水準を抜く性能を得た。ほぼ同時期につくられたアメリカ海軍の艦上戦闘機グラマンF4Fと比べると、自重が約4割も軽く、速度はさほど勝っていなかったが、上昇力、旋回性で大きく差をつけ、さらに航続力は2倍近くに達していた。総合的にみて、零戦は第二次世界大戦初期における世界の最優秀戦闘機の一つだったと認められている。この緒戦に活躍した零戦21型は940馬力のエンジンをつけ、全幅12.0メートル、全長9.1メートル、自重1.7トン、総重量2.4トン、最大速度518キロメートル/時、航続距離2220キロメートル。しかし、大戦後半にアメリカ側が新鋭戦闘機を送り出してくると苦戦するようになり、最後には特攻機としても使われた。生産数は、複座の練習型やフロートをつけた水上戦闘機型を含めて1万0697機に達したが、これは日本機では史上最多である。
[藤田勝啓]
零(れい)式艦上戦闘機の略称。1940年(昭和15,皇紀2600)に制式化された日本海軍の戦闘機。日本を代表する名機として,零戦の名で親しまれた。最大速度518km,航続距離2200km。堀越二郎設計の軽い機体のうみだす高い空戦性能と長い航続距離をもち,太平洋戦争ではその能力を遺憾なく発揮して日本の航空技術力の評価を高めた。衝撃を受けたアメリカは捕獲した零戦を研究して,新型戦闘機を開発・投入したため,零戦の優位は崩れた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…正式には零式(れいしき)艦上戦闘機といい零戦(れいせん)とも略称される。旧日本海軍が,日中戦争から太平洋戦争全期にわたって使用した艦上戦闘機。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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