国指定史跡ガイド 「闘鶏山古墳」の解説
つげやまこふん【闘鶏山古墳】
大阪府高槻市水室町にある前方後円墳。北摂山地の南斜面にある奈佐原丘陵の標高84mの地点に位置する。今城塚(いましろづか)古墳をはじめとする約500基の古墳からなる三島古墳群に属し、古墳時代前期の4世紀前半に造営された。石室内部のファイバースコープ調査では三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)や石製の腕飾り、木棺の一部などが確認され、4世紀前半の三島地域の王墓と考えられている。墳丘の段築や葺石(ふきいし)、さらに平野に向かって開けた周辺の丘陵地形もよく残っており、古墳の祭祀や古墳時代の解明に向けて、きわめて重要な古墳である。古墳は丘陵の狭い尾根沿いに、前方部を南側に向けて造られ、全長86.4m、後円部径約60m、前方部、後円部ともに2段の段築がなされている。2段目のテラスや埋葬施設がある後円部墳頂部まで、墳丘全面に葺石がほどこされているが、埴輪(はにわ)は見られない。後円部の南東側に古墳本体と接して石が敷かれている部分があり、古墳の祭祀が行われたものとみられ、多くの土師器(はじき)片が見つかっている。埋葬施設として、後円部に2基の竪穴(たてあな)式石槨(せっかく)が確認され、いずれも未盗掘であった。2002年(平成14)に国の史跡に指定された。JR東海道本線摂津富田駅から高槻市営バス「土室(はむろ)」下車、徒歩約10分。