阿丹崎湊(読み)あざんざきみなと

日本歴史地名大系 「阿丹崎湊」の解説

阿丹崎湊
あざんざきみなと

[現在地名]龍郷町久場

笠利かさり湾の西の入江にある湊。「あたんざき」ともいう。正徳五年(一七一五)に大島代官として赴任した富山氏、同じく享保一七年(一七三二)赴任の北郷氏は阿丹崎に着船している(大島代官記)。同一一年一二月に田中郡奉行の一行が阿丹崎に入り、瀬獅子ししきよ(龍郷村)から竿が入れられ、名瀬なぜ間切・笠利かさん間切と検地が進められたという(大御支配次第帳)。寛政五年(一七九三)八月中旬阿丹崎から出帆した代官・付役らの船が大風で行方不明となっており、鹿児島藩から各々の墓を建てるよう命じられている(大島代官記)。文化三年(一八〇六)大島代官本田孫九郎が上申した一八ヵ条(大島要文集)によれば、名瀬間切の龍郷方の「河舟崎」(阿丹崎であろう)は二三反帆船を係留する居船場一九ヵ所の一つで、津口横目の船改が行われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む