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阿倍鳥 あべの とり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

阿倍鳥 あべの-とり

?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。
推古天皇16年(608)に来日した隋使(ずいし)裴世清(はい-せいせい)の案内役をつとめ,18年朝鮮の新羅(しらぎ)使,任那(みまな)使が来日した際の四大夫(まえつきみ)のひとり。20年推古天皇の亡母堅塩媛(きたしひめ)を檜隈(ひのくま)大陵に改葬したとき,天皇の弔辞をよみあげた。阿倍倉梯(くらはしの)麻呂の父といわれる。阿倍内臣(うちのおみ)鳥,阿倍鳥子(とりこ)ともいう。

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朝日日本歴史人物事典の解説

阿倍鳥

生年:生没年不詳
7世紀初頭の官人。阿倍鳥子臣,阿倍内臣鳥とも記す。7世紀初頭の阿倍氏は多くの家に分かれていたが,阿倍内家はその本宗家ともいうべき系統で,鳥,麻呂と2代にわたって大夫として活躍した。大夫とは6世紀前半から7世紀にかけて,大臣,大連らと共に国政を担った群臣の呼称。推古16(608)年に来日した隋使裴世清の導者となり,国書を大伴咋に伝達。また2年後の新羅使,「任那」使の来日に際しても,四大夫のひとりとして蘇我馬子に使旨を伝奏した。20年に,天皇の母堅塩媛を檜隈大陵(橿原市の見瀬丸山古墳)に改葬したとき,天皇の命を誄したが,鳥のみはうまく誄できなかったという。<参考文献>佐藤長門「阿倍氏と王権儀礼」(『日本歴史』540号)

(佐藤長門)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

あべのとり【阿倍鳥】

阿倍鳥子,阿倍内臣鳥ともいう。生没年不詳。大伴咋(くい),蘇我蝦夷えみし),坂本糠手とともに推古朝の大夫(まえつぎみ)の一人。608年(推古16)8月,遣隋使小野妹子を送り来朝した隋使裴世清入朝時その導者となり,610年10月新羅使・任那使入朝の際は四大夫の一人として庭中に侍立した。また612年2月推古天皇が亡母堅塩媛(きたしひめ)を亡父欽明天皇の檜隈大陵に改葬したとき,軽の衢(ちまた)で天皇の命を誄(しのびごと)した。

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