出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。6世紀前半の隋(ずい)の官人。607年(推古天皇15)に推古(すいこ)天皇が派遣した遣隋使に対して隋の煬帝(ようだい)が日本に遣わした返答使(へんとうし)。裴氏は六朝(りくちょう)時代以来の名族で、世清は来日時には文林郎(ぶんりんろう)(秘書省の属官)・鴻臚寺掌客(こうろじしょうきゃく)(外国使節の接待係)の職にあった。『日本書紀』によると、裴世清一行は、遣隋使小野妹子(おののいもこ)らとともに、608年4月に筑紫(つくし)に到着、6月難波津(なにわづ)に入る際には飾船(かざりぶね)30艘(そう)の歓待を受け、8月に飾騎(かざりうま)75匹に迎えられて入京し、朝廷に招かれて煬帝からの親書を推古天皇に伝えた。9月には帰国の途につくが、送使に小野妹子が命ぜられ、あわせて高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなぶちのしょうあん)、僧旻(みん)などの留学生が同行した。裴世清来日の記事は『隋書』にも詳しい。
[菊地照夫]
(平野卓治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
生没年不詳。6世紀後半~7世紀前半の隋・唐の官人。608年(推古16)4月,遣隋使小野妹子を送って筑紫に上陸。6月難波津に泊まり,8月大和国海石榴市(つばいち)の衢(ちまた)に迎えられ,小墾田宮(おはりだのみや)に召された。世清は信物を届け国書を読んだ。身分は「日本書紀」では鴻臚(こうろ)寺掌客,「隋書」では文林郎。「元興寺伽藍縁起」によれば,副使尚書祠部主事遍光高(へんこうこう)が世清に従って来朝した。世清は唐朝にも仕え,江州刺史となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…607年(推古15,大業3),小野妹子(いもこ)・鞍作福利(くらつくりのふくり)らをつかわしたことが《日本書紀》にみえ,これと対応する有名な〈日出処の天子書を日没する処の天子に致す〉の国書をたずさえて行き煬帝の不興を買ったことが《隋書》に見える。妹子は翌年隋使裴世清(はいせいせい)らを伴って帰国したが,隋の国書を途中で紛失している。彼の国書の内容が,太子の期待した対等の外交関係とは遠いものであったからであろうといわれている。…
※「裴世清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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