阿木村
あぎむら
[現在地名]中津川市阿木
阿木盆地は屏風山断層崖と、背面の恵那山断層崖の間にでき、焼山(一七〇九・二メートル)・鯉子山(一五九〇・三メートル)の尾根続きとなる恵那山系の、天狗森山(一三三八メートル)・三森山(一一〇〇・三メートル)の裾野に藤上台地、八屋砥の古生層、広岡扇状地と変化に富んだ地形上に展開し、阿木川は北に流れ木曾川に合流している。「和名抄」にみえる安岐郷は、恵奈六郷の一つで、美濃国神名帳にある阿気明神とともに、当地に存在したとされる。昭和四六年(一九七一)に発見された奈良時代の佐波理を模した猿投産の灰釉を施した水瓶は、そのことを裏付けている。発見地一帯は寺領、本所(本庄)といわれ、近世の当村の中心地であった。「永享以来御番帳」や「文安年中御番帳」、長享元年(一四八七)六月の常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到(「後鑑」巻二四一所収)に遠山阿城孫太郎の名がみえ、遠山氏の一族に支配されていたことがわかる。
慶長六年(一六〇一)岩村藩領となり、明治維新まで続く。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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