阿武御領
あぶごりよう
阿武郡内にあった皇室領で、その領域は不詳。のち後白河上皇に創設された長講堂(跡地現京都市下京区)に寄進された。
「吾妻鏡」文治五年(一一八九)二月三〇日条に
<資料は省略されています>
とあり、次のような源頼朝の下文を載せる。
<資料は省略されています>
この「没官領内」が阿武御領にあたる。この記事は東大寺再建用材を阿武郡より採用するにあたって、その地の地頭土肥遠平を去進するように勅命が出され、それによって幕府は土肥遠平に阿武郡よりの退去を命じた。しかし遠平の代官が滞留、濫妨するので、速やかに御領内から退出させる旨の下文を発したものである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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