20世紀日本人名事典 「阿藤伯海」の解説 阿藤 伯海アトウ ハクミ 大正・昭和期の漢学者,漢詩人 一高教授;法政大学教授。 生年明治27(1894)年2月17日 没年昭和40(1965)年4月4日 出生地岡山県鴨方町 本名阿藤 簡 別名字=大簡,別号=虚白堂 学歴〔年〕東京帝大文学部西洋哲学科〔大正13年〕卒 経歴東京帝大卒業後、京都帝大大学院で狩野直喜に師事して中国哲学を修める。大正15年、東京に帰り、法政大学教授を経て一高教授に就任し、漢文を講じた。戦争中は詩作につとめ、没後「大簡詩草」が刊行された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿藤伯海」の解説 阿藤伯海 あとう-はくみ 1894-1965 大正-昭和時代の中国文学者。明治27年2月17日生まれ。東京帝大卒業後,中国哲学を狩野直喜(なおき)にまなび,法大,一高の教授をつとめる。昭和24年岡山大の創設につくすが,教授にならず詩作,読書にふける。没後,漢詩集「大簡詩草」が刊行された。昭和40年4月4日死去。71歳。岡山県出身。名は簡。号は大簡,虚白堂。【格言など】信濃なる山路の雪ともろともにはるをも待たで消ゆるけふかな(辞世) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by