日本歴史地名大系 「難波町裏河岸」の解説 難波町裏河岸なにわちよううらがし 東京都:中央区旧日本橋区地区難波町裏河岸[現在地名]中央区日本橋人形町(にほんばしにんぎようちよう)二丁目難波町の南にあり、もと吉原(よしわら)の堀だった浜町(はまちよう)入堀に面した東西に続く片側町。西は住吉(すみよし)町裏河岸、東は浜町堀。住吉町裏河岸から続く河岸を竈(へつつい)河岸といった。安永三年小間附町鑑によれば小間数は京間七四間四寸、内訳は京間五二間五尺四寸と田舎間二三間(京間では二一間一尺五寸)、公役金を負担した。名主は高砂(たかさご)町と同じ。地内の三区画が享保(一七一六―三六)頃の下賜という御塗師円阿弥洞院、御簾屋望月徳助、御納戸方御坊主丹羽兼枚の拝領屋敷。総面積は一千七〇六坪余、河岸通りは道幅五間、河岸幅は二間四尺(「寛保沽券図」中央区京橋図書館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報