雨窪村
あまくぼむら
[現在地名]苅田町雨窪・若久町一―三丁目・松原町
苅田村の北西、松山村の西に位置し、貫山山地東部末端の低丘陵に立地する。北は企救郡朽網村(現北九州市小倉南区)。元和八年人畜改帳に村名がみえ、高四二一石余、家数六二・人数一〇三(うち惣庄屋一・百姓一三・名子四・山ノ口一)、牛一八・馬七。郷村高帳では高四四六石余、うち新田高二五石余。旧高旧領取調帳では高三〇七石余。幕末期、狸山峠に三軒の茶屋(藤の木茶屋・桜茶屋など)があったと伝える。慶応二年(一八六六)八月第二次長州征討戦の際、小倉藩は小倉城を自焼したあと田川郡方面は企救郡高津尾村(現北九州市小倉南区)、京都郡方面は狸山峠を防衛拠点とした(「豊倉記事」小笠原文庫など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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