苅田町(読み)かんだまち

日本歴史地名大系 「苅田町」の解説

苅田町
かんだまち

面積:四六・四四平方キロ

京都郡の北部に位置し、同郡の勝山かつやま町とは行橋市によって隔てられている。南は行橋市、西から北は北九州市小倉南区に接し、東は周防灘に面する。近代以降海岸埋立による造成が進み、海岸線はかなり東へ延びている。かつての海岸線近くまで西方から平尾台ひらおだい山地が延び、中央に高城たかじよう(四〇五・九メートル)がある。ほぼ南境に沿って小波瀬おばせ川が東流、二崎ふたざき長峡ながお川に合流して周防灘に注ぎ、流域平地が開ける。近世中津街道にあたる国道一〇号が東部を通り、ほぼ並走しているJR日豊本線には苅田駅・小波瀬西工大前おばせにしこうだいまえ駅がある。小波瀬西工大前駅からは苅田港かんだみなと駅まで引込線が通じている。国道一〇号からは東端の二崎で国道二〇一号が分岐する。

町域に大型前方後円墳石塚山いしづかやま古墳御所山ごしよやま古墳があり、いずれも国指定史跡稲光の国崎いなみつのくにさき八幡神社は「豊後国風土記」に景行天皇に随行して「豊国直」の姓を与えられたという菟名手を祀るなど、景行天皇にまつわる説話が伝えられる。「日本書紀」安閑天皇二年に設置された肝等かと屯倉は当町域に比定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「苅田町」の意味・わかりやすい解説

苅田〔町〕
かんだ

福岡県北東部,周防灘に面する町。 1924年町制。 55年小波瀬 (おばせ) ,白川の2村と合体。古くからの農漁村で,中心地区の苅田は旧中津街道の宿場町であった。第2次世界大戦後,石炭積出港として築港したが,筑豊炭田の衰退後の 68年に木材輸入を主とする貿易港となった。また海岸の埋立て地に火力発電所,セメント,自動車などの工場が進出,操業している。松山に山城跡,御所山に前方後円墳,石塚山古墳 (ともに史跡) ,内尾にカルスト天然橋,白川に天然記念物の青竜窟鍾乳洞がある。町域西部一帯は北九州国定公園筑豊県立自然公園に属する。海岸部を JR日豊本線,国道 10号線が並走。面積 49.24km2。人口 3万7684(2020)。

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